信州の分校で編み籠を覗いたら、白目のない赤子と目が合った話
木曽の山あいの分校で代用教員が体育倉庫の脇に見つけた藤の編み籠。中に眠っていた赤子の瞳には白目がなかった。五十年越しの回想。
あの子の目には、白いところがなかった
今から30年ほど昔になるでしょうか。いえ、正確には50年近く前の話になります。
私はまだ30代の頃、信州は木曽の山あいにある小さな分校で代用教員を務めておりました。代用教員というのは、正規の教員が足りない地域で臨時に教壇に立つ仕事のことです。当時の木曽は今よりずっと山深く、バスが一日に数本通るかどうかという土地でした。
この話を誰かに伝えるべきなのか、半世紀のあいだずっと迷っておりました。妻にも、娘にも話したことがありません。けれど自分の記憶がまだ確かなうちに書き残しておかなければ、あの子のことを覚えている人間がこの世から消えてしまう。そう思い、筆を執ることにしました。
文章を書く仕事の人間ではありませんので、読みにくい点はお許しください。ただ、記憶にあることはできるだけ正確に書きます。覚えている会話も、当時の言葉のままに残します。
Photo by Nguyen Minh on Unsplash
木曽の分校のこと
分校は、本校から山道を40分ほど歩いた集落にありました。
校舎と呼べるものは木造二階建ての建物がひとつ。教室が二つと、職員室を兼ねた小部屋がひとつ。あとは校庭の隅に体育倉庫と呼ばれる物置小屋があるだけでした。児童は全学年合わせて十数人。私はそこでほぼすべての教科を一人で教えていました。
春になると校庭の端に山桜が咲いて、風が吹くたびに花びらが砂利の上を転がっていくのが見えました。夕方になると山の向こうから霧が降りてきて、校舎の輪郭がぼやけていく。静かな場所でした。虫の声と、遠くの沢の音と、時おり獣が枝を踏む音しか聞こえない。
私の下宿は分校から歩いて5分ほどの農家の離れで、おばあさんが一人で暮らしている家の二階を間借りしていました。仮にこのおばあさんをTさんとします。Tさんは寡黙な人で、朝と晩に食事を用意してくださる以外はほとんど口をきかない方でした。ただ、夜になると仏壇の前で長いこと何かを唱えている声が、薄い床板を通じて聞こえてきたのを覚えています。
あの出来事があったのは、赴任して二年目の春のことでした。4月の半ば、桜がちょうど散りかけの頃です。
体育倉庫の脇にあったもの
その日は午前中に授業を終え、午後から体育倉庫の整理をする予定でした。
倉庫の中には使わなくなった跳び箱や、カビの生えたマット、錆びた鉄棒の部品などが積み上げられていて、年に一度は片づけないと足の踏み場もなくなるのです。倉庫の引き戸を開けると、湿った土と古い木材の匂いが鼻を突きました。埃が舞い上がって、差し込む陽の光の中でゆっくりと回転していた。
跳び箱を外に出そうとして、倉庫の裏手に回った時のことです。
建物の壁と校庭の柵のあいだに、幅1メートルほどの隙間がありました。草が伸びていて、普段は誰も通らない場所です。そこに、藤の編み籠がひとつ置いてあったんです。
大きさは、そうですね。赤ん坊を寝かせるための籠、と言えば伝わるでしょうか。楕円形で、両端に持ち手がついている。古いものでしたが、丁寧に編まれていて、中には白い布が敷いてありました。
最初は誰かの忘れ物だろうと思いました。集落の人が農作業の合間に置いていったのかもしれない。けれど、近づいてみると布が微かに動いている。呼吸に合わせて、ゆっくりと上下している。
覗き込みました。
赤ん坊が眠っていました。
生後どれくらいでしょうか。首が据わるか据わらないかくらいの、小さな赤ん坊でした。肌の色は普通で、頬がほんのり赤くて、指を軽く握ったまま静かに寝息を立てている。
そのまま立ち去って誰かを呼びに行くべきだったのかもしれません。けれど、私はしゃがみ込んで、しばらくその子の顔を見ていました。穏やかな寝顔でした。こんな場所に置いて、親は何をしているのだろうと思った。
すると、赤ん坊が目を開けたんです。
ゆっくりと。薄い瞼が持ち上がるようにして。
目が合いました。
赤ん坊の目には、白目がありませんでした。
瞳も虹彩も白目もない。目の全体が、均一な黒でした。光を反射しない、底の見えない黒。墨を流し込んだような、と言えば近いかもしれません。けれど墨のような艶もない。吸い込まれるような、という表現がありますが、あれは比喩ではなく、本当に視線を逸らすことができなかった。
何秒くらいそうしていたのか分かりません。体が動かなかった。恐怖というよりも、もっと根の深い、理屈では説明できない感覚でした。背中を冷たいものが伝い落ちていくのに、目だけはあの黒い瞳に縫い止められている。
「先生」
背後から声がして、ようやく金縛りが解けました。振り返ると、上級生の女の子が校庭のほうから私を呼んでいた。
「何しとるの、先生。跳び箱、重いで手伝おうか」
私は立ち上がって、もう一度籠の中を見ました。赤ん坊は目を閉じていました。さっきと同じ穏やかな寝顔に戻って、小さな拳を握ったまま、規則正しい寝息を立てている。
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校門に立っていた老婦人
女の子を先に校舎へ戻し、私は急いで職員室に向かいました。
電話は本校にしかなかったので、とにかく集落の誰かに知らせなければと思いました。玄関を出て校門のほうへ歩いた時、門柱の脇に一人の老婦人が立っていたんです。
集落の人ではありませんでした。少なくとも、私が二年間で顔を覚えた住民の中にはいない方でした。
背の低い、痩せた老婦人でした。白髪を後ろでまとめて、地味な着物を着ていた。季節にしてはずいぶん厚着で、首元に古い手拭いを巻いていたのを覚えています。顔の皺が深くて、年齢は見当もつかなかった。七十にも八十にも見えた。
老婦人は何も言わずに、私のほうをじっと見ていました。
「あの、何かご用ですか」
私がそう声をかけると、老婦人は小さく頭を下げて、校庭のほうへ歩き出しました。迷いのない足取りでした。まっすぐ体育倉庫の裏手に向かっている。
「あっ、あの」
私は慌てて後を追いました。老婦人は倉庫の裏に回り込み、編み籠の前にしゃがみ込みました。両手で籠の持ち手を掴み、よいしょ、と小さく声を出して持ち上げた。
「その子は」
私が何か言おうとすると、老婦人はこちらを見ました。穏やかな、けれどどこか寂しげな目をしていた。
「先生。この子のこと、誰にも言わんでくだせ」
それだけ言って、老婦人は編み籠を抱えたまま校門のほうへ歩いていきました。私は追いかけるべきだったのかもしれません。けれど足が動かなかった。さっきとは違う理由で。あの老婦人の声には、有無を言わせない何かがあったんです。
校門を出て、老婦人は山のほうへ続く細い道を歩いていきました。霧が出始めていて、その背中はすぐに白い靄の中に溶けていった。
籠の中から、赤ん坊の泣き声は最後まで聞こえませんでした。
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Tさんの沈黙と、翌春の出来事
その晩、下宿に帰ってからTさんに何気なく聞いてみました。
「今日、分校に来ていたおばあさんがいたんですが。白髪を束ねた、小柄な方で」
Tさんは味噌汁をよそう手を止めました。一瞬だけ、本当に一瞬だけ。それからまた何事もなかったかのように椀を差し出して、
「さあ。知らんね」
それきりでした。いつもと変わらない寡黙なTさんに戻って、その話題に触れることは二度とありませんでした。
ただ、その夜の仏壇の前の声は、いつもより長く続いていた気がします。
私はあの出来事を誰にも話しませんでした。老婦人に言われたからということもありますが、話したところで信じてもらえないだろうという気持ちのほうが強かった。白目のない赤ん坊。そんなものを見たと言えば、疲れているんだろうと笑われるか、頭がおかしくなったと心配されるか、どちらかでしょう。
翌年の春、集落にひとつの慶事がありました。
長く子宝に恵まれなかった若い夫婦に、女の子が生まれたのです。集落中が喜んで、分校の児童たちもお祝いの絵を描いた。私もお祝いを届けに行きました。
赤ん坊は健康そのもので、丸い頬をして、大きな声で泣いていました。
目は普通の赤ん坊の目でした。黒い瞳と、白い白目。光を受けて、きらきらと輝いている、普通の目。
けれど私は、あの編み籠の赤ん坊のことを思い出さずにはいられませんでした。あの子とこの子は同じなのか。それとも全く関係がないのか。
Tさんにもう一度聞こうかと思いました。けれど、聞けなかった。Tさんの台所の隅に、あの日老婦人が巻いていたのとよく似た手拭いが畳んで置いてあるのを見つけてしまったからです。同じものかどうかは分かりません。ただの偶然かもしれない。
私はその年の秋に分校を離れ、別の土地に移りました。
Photo by Ryo Harianto on Unsplash
五十年の沈黙の果てに
あれから半世紀が過ぎました。
分校はとうに廃校になり、建物も取り壊されたと聞いています。Tさんもとっくに亡くなられた。あの集落に住んでいた人々の多くが、もうこの世にはいないでしょう。
あの赤ん坊が何だったのか。今でも分かりません。
木曽の山あいには古くから「もらい子」や「預け子」の風習があったと聞いたことがあります。子のない夫婦が、縁のある家から赤子を譲り受ける。あるいは神仏に子を「預けて」返してもらう、という民間信仰もあったそうです。あの編み籠の赤子がそうした風習と関わりがあるのかどうか、確かめる術はもうありません。
白目のない目のことも、調べてみたことがあります。医学的には「強膜メラノーシス」という、強膜全体が暗色になる症例があるそうです。けれど、あの目はそういうものとは違っていた。あれは病気の目ではなかった。少なくとも私にはそう見えた。
柳田國男の『遠野物語』には、座敷童子や山の神の使いとされる不思議な子供の話がいくつも出てきます。信州にも「ざしきぼっこ」や「くだ狐」にまつわる子供の話が残っている。子宝に恵まれない家に不思議な赤子が現れ、それが去った後に実の子が授かるという話の類型は、東北から信州にかけての山間部に点在しているようです。
あの老婦人が何者だったのか。Tさんとどういう関係だったのか。あの赤子は翌春に生まれた女の子と関係があるのか。
何ひとつ分かりません。分かっているのは、あの春の日、体育倉庫の裏手で、白目のない赤子と目が合ったということだけです。あの黒い瞳の底に何があったのか。五十年経った今も、時おり夢に見ます。目が覚めると、湿った土と古い木材の匂いがほんの一瞬だけ鼻の奥に残っている。
長い話にお付き合いいただいて、ありがとうございました。あの子のことを覚えている人間がこの世に一人でもいるうちに、書き残しておきたかった。それだけです。
Photo by Peter Herrmann on Unsplash
もっと深く知りたい人向けの本
この話を読んで、山間部の民間信仰や「子授け」にまつわる怪異に興味を持った方には、以下の本をおすすめします。
柳田國男『遠野物語』(岩波文庫)。座敷童子をはじめ、東北の山村に伝わる不思議な子供の話が数多く収められています。この手の話の原型を知るには欠かせない一冊。
宮田登『日本の民俗信仰』(講談社学術文庫)。子授け、間引き、もらい子といった民俗慣行と、それにまつわる信仰の体系を丁寧に解説した本です。編み籠の赤子が何だったのかを考えるとき、この本の視点は参考になるかもしれません。
市川健夫『信州の伝説』(信濃毎日新聞社)。木曽を含む信州各地に残る伝説や民話を集めた一冊。土地の空気を知る手がかりになります。
『怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集』(MF文庫ダ・ヴィンチ)。実話怪談のアンソロジーで、投稿型怪談の雰囲気が好きな方にはぴったりです。本記事のような「語り手が体験をそのまま綴る」形式の怪談が多数収録されています。
本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。
📚 この記事で紹介した書籍
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遠野物語
柳田國男 / 岩波文庫
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日本の民俗信仰
宮田登 / 講談社学術文庫
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信州の伝説
市川健夫 / 信濃毎日新聞社
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怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集
MF文庫ダ・ヴィンチ
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