昭和三十四年、中国山地の峠に「名前のないバス停」があった話
乗合バスの運転手が語る、地名を失った停留所と、そこで扉を開けた十七歳の車掌の記憶。
あの停留所だけ、名前を書いた板がなかった
去年の冬、母方の叔父が亡くなった。
叔父は昭和三十年代に中国山地の乗合バスの運転手をしていた人で、晩年はほとんど喋らなくなっていたんだけど、数年前の盆に一度だけ、妙に饒舌になった夜があった。酒が入ると決まって黙る人だったから、親戚一同ちょっと驚いて、誰も口を挟まずに聞いていた。
俺がここに書くのは、その夜に叔父が話した内容です。
叔父は当時、広島と島根の県境あたりを走る路線を担当していた。三国越えと呼ばれる峠道で、冬は雪で運休になることも珍しくなかったらしい。バスは一日に数本。乗客も少ない。停留所は木の柱に手書きの板を打ち付けただけのもので、屋根すらないところがほとんどだったという。
その路線のどこかに、一つだけ、名前を書いた板が掛かっていない停留所があった。
柱はある。時刻表を貼った小さな箱もある。でも肝心の地名が、ない。叔父が担当になる前からそうだったらしく、先輩の運転手に聞いても「あそこはああいうもんじゃ」としか言われなかったそうだ。
長文になります。文才もないし、叔父の言葉を思い出しながら書いてるのでかなり乱文だと思います。許してください。
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十七歳の車掌が、いつもそこでつっかえた
叔父のバスには車掌が乗っていた。
昭和三十年代の乗合バスにはまだワンマン運転が普及しておらず、後部の乗降口に車掌が立って停留所の名前を読み上げ、切符を切っていたそうだ。叔父の路線を担当していたのは、地元の高校を出たばかりの十七歳の男の子だった。叔父は彼のことを「K」と呼んでいた。仮名かどうかはわからない。
Kは真面目な子で、停留所の名前を一つも間違えなかった。声も通る。乗客のばあさん連中にも評判が良かったという。ただ一つ、あの名前のない停留所に差しかかると、Kは必ず一度つっかえた。
叔父はこう言っていた。
「あの子はな、峠の手前から順番に読み上げていくじゃろ。○○、○○、○○、とこうスラスラ言うんじゃが、あそこに来ると必ず一拍止まるんよ。で、小さい声で『……峠』とだけ言う。峠の何なのかは言わん。言えんのよ、名前がないんじゃけぇ」
叔父自身も、運行表にはその停留所が載っていたはずだと言っていた。でも何と書いてあったか、どうしても思い出せないらしい。「載っとったはずなんじゃがのう」と、首を傾げていた。
Kがつっかえるたびに、車内の空気がほんの少しだけ変わったという。乗客は誰もその停留所では降りない。乗る人もいない。バスはただ柱の前で一瞬止まり、扉を開け、閉め、また走り出す。叔父は「あそこを通るときだけ、排気ガスの匂いがやけに鼻についた」と言っていた。
なぜ名前がないのか。叔父は営業所の古い職員に一度だけ聞いたことがあるそうだ。返ってきた言葉は、こうだった。
「あそこは名前があったんよ。あったんじゃけど、なくなったんよ」
それ以上は教えてもらえなかったという。
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雪明けの朝、Kが扉を開けた
叔父の話で一番記憶に残っているのは、ある雪明けの朝のことだ。
その年の冬は雪が深くて、路線は二週間ほど運休していた。ようやく除雪が入って運行が再開した最初の便を、叔父とKが担当した。朝の五時台。乗客は二人だけだったという。
峠に近づくにつれて、道の両側には除雪で積み上げられた雪の壁ができていた。まだ薄暗い。ヘッドライトの光が雪に反射して、妙に明るいような暗いような、目がおかしくなる感じだったと叔父は言っていた。
例の停留所に差しかかった。
柱は雪に半分埋まっていた。時刻表の箱も見えない。ただ柱の上の方だけが雪から突き出ていて、そこには板が掛かるはずの金具だけが錆びたまま残っていた。
Kがいつものように一拍つっかえた。そして「……峠」と言った。
叔父はそのまま通過するつもりだった。誰も待っているわけがない。二週間雪に埋もれていた峠のバス停に、朝の五時台に人が立っているはずがない。
ところがKが扉を開けた。
叔父は驚いてミラーを見た。Kは後部の乗降口に立って、雪の中の柱に向かって扉を開け放っていた。冷たい空気が車内に流れ込んできて、乗客の一人が咳をした。
叔父が「おい、誰もおらんじゃろうが」と声をかけた。Kは振り返らなかった。五秒か、十秒か。Kはじっと外を見ていた。それから静かに扉を閉めた。
バスが走り出してから、叔父はバックミラー越しにKの顔を見た。泣いてはいなかった。でも、十七歳の子供にしては妙に老けた顔をしていたという。
「あの子、あのとき何を見とったんかのう」
叔父はそう言って、湯呑みの茶をすすった。
📺 関連映像: 中国山地 峠 廃バス停 昭和 乗合バス — YouTube で検索
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地名が消えるということ
叔父の話を聞いてから、俺はちょっと気になって調べてみた。
中国山地の県境付近には、昭和三十年代の町村合併や過疎化で消滅した集落がいくつもある。地名というのは、そこに人が住んでいるから意味がある。人がいなくなれば、地名は行政上の記号として残るだけで、やがてそれすらも統合や合併で消えていく。
バス停の名前が消えたという話は、単に板が朽ちて落ちただけかもしれない。あるいは、その地名に何か忌むべき由来があって、意図的に外されたのかもしれない。中国山地に限らず、日本各地には「口にしてはならない地名」「地図から消された集落」の話が伝わっている。
柳田國男は『地名の研究』の中で、地名には土地の記憶が宿ると書いている。人が名前を付けることで土地は「場所」になり、名前を失うことで土地は再びただの地形に戻る。叔父が「名前があったんじゃけど、なくなったんよ」と聞かされた言葉には、単に板が外れたという以上の意味があったのかもしれない。
宮本常一の『忘れられた日本人』にも、中国山地の山村で聞き取りをした記録がある。あの山々の奥には、外の世界とほとんど接触を持たずに何代も暮らしてきた人々がいた。そうした集落が消えるとき、地名だけがしばらく残る。バス停の柱だけがしばらく残る。やがてそれも雪に埋もれて、誰も思い出せなくなる。
叔父が思い出せなかった運行表の文字も、そういう種類の忘却なのかもしれない。覚えていられないのではなく、覚えていてはいけない。そんな気がしてくる。
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Kのその後、叔父のその後
叔父の話には続きがある。
Kはその年の秋に車掌を辞めた。理由は聞いていないらしい。辞める前日、KがKの方から叔父に話しかけてきたことがあったという。
K「運転手さん、あそこの停留所、名前が見えたことありますか」
叔父「見えたって、板がないんじゃけぇ見えんじゃろ」
K「……そうですよね」
それだけだったそうだ。叔父は「あの子、もしかしたら何か見えとったんかもしれん」と言っていた。霊感とかそういう大げさな話ではなく、ただ、あの柱の前に立つと何かが見える子だったのかもしれない、と。
叔父自身はその後も数年間同じ路線を走り続けた。あの停留所は、叔父が担当を離れる頃にはもう路線ごと廃止になっていたという。柱が撤去されたのか、雪に埋もれたまま朽ちたのか、それも分からない。
叔父が盆の夜にこの話をしたのは、あの一度きりだった。翌年の盆には、もう叔父はほとんど喋れなくなっていた。去年の冬に亡くなった。
葬儀の後、叔父の部屋を片付けていたら、古い運行表の束が出てきた。昭和三十年代のもので、紙は茶色く変色してボロボロだった。峠付近の停留所の一覧を探してみた。
該当する場所には、停留所名が書いてあった。でも、インクが滲んで読めなかった。
偶然だと思う。紙が古いんだから滲むのは当然だ。でも、他の停留所名はちゃんと読めるのに、そこだけ読めない。俺は写真を撮って、親戚のおばさんに見せた。おばさんは老眼鏡をかけて、しばらく目を細めて、それから首を横に振った。
「読めんねぇ。読めんわ。なんじゃろうねぇ、これ」
俺もあれが何だったのか、今もわかりません。叔父に聞きたいことはいくらでもあったのに、もう聞けない。Kという車掌がその後どうなったのかも分からない。あの柱が今もどこかの山の中に立っているのかも分からない。
もしこの話に心当たりがある人がいたら、教えてほしいです。広島と島根の県境あたり、三国越えの峠道を走っていた乗合バスの路線で、名前のない停留所があったという話。
長文失礼しました。読んでくれた人、ありがとう。
Photo by anya_piotrovski (BY-NC-SA) via Openverse
何が分かっていて、何が分かっていないか
分かっていること。昭和三十年代、中国山地の三国越えと呼ばれる峠道に乗合バスの路線があった。これは事実で、当時の交通史の資料にも記録が残っている。県境付近の山間部には、町村合併や過疎化で消滅した集落が複数あり、それに伴ってバス路線も廃止されている。
分かっていないこと。名前のない停留所が本当に存在したのかどうか。叔父の記憶が正確だったのかどうか。Kという車掌が何を見ていたのか。運行表のインクがなぜそこだけ滲んでいたのか。
叔父は嘘をつく人ではなかった。でも、七十年近く前の記憶だ。時間が経てば記憶は変形する。名前を忘れただけなのか、名前がなかったのか、その境界は曖昧だ。
ただ、叔父があの盆の夜にあの話をしたとき、部屋の空気が変わったのは確かだ。誰も笑わなかった。誰も茶化さなかった。親戚の誰かが窓を開けて、山から降りてくる夜風が部屋に入ってきた。線香の匂いと、青い草の匂いが混ざっていた。
地名が消えるというのは、土地が何かを忘れることなのか。それとも、土地が何かを隠すことなのか。
あの柱は、今もどこかに立っているのだろうか。
出典: 名前を失くした峠のバス停
もっと深く知りたい人向け
この話を読んで何か引っかかるものがあった人には、以下の本をすすめたい。
『山の霊異記 赤いヤッケの男』(安曇潤平、角川文庫)は、山で実際に体験された怪異譚を集めたもので、峠や山道にまつわる話が多い。あの空気感に近いものがある。
『遠野物語』(柳田國男、岩波文庫)は言わずもがなだけど、土地と名前と記憶の関係を考えるなら避けて通れない一冊。
『日本の地名 付・地名研究についての注意書き』(柳田國男、角川ソフィア文庫)は、地名がなぜ生まれ、なぜ消えるのかを民俗学の視点から論じている。叔父の話の背景を理解するには、これが一番近いと思う。
『忘れられた日本人』(宮本常一、岩波文庫)は、中国山地を含む日本各地の山村で暮らす人々の声を記録した名著。消えゆく集落の気配が、行間ににじんでいる。
本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。
📚 この記事で紹介した書籍
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山の霊異記 赤いヤッケの男
安曇潤平 / 角川文庫
- 📖
遠野物語
柳田國男 / 岩波文庫
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日本の地名 付・地名研究についての注意書き
柳田國男 / 角川ソフィア文庫
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忘れられた日本人
宮本常一 / 岩波文庫
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