十九戸の集落で二十枚の軒札が並んでいた話──誰も知らない「もう一軒」の正体
平成五年の台風直後、丹後の集落で損害調査員が遭遇した「存在しないはずの一戸」をめぐる不可解な記録。
あの集落には、台帳にない家が一軒あった
今から三十年以上前のことです。
私は当時、損害保険の調査員をしていました。平成五年、つまり1993年の秋口。あの年は台風が何度も日本列島を直撃して、特に日本海側の被害がひどかった。私の担当は京都府北部、いわゆる丹後地方の沿岸部と山間部で、台風が去ったあとの家屋被害を一軒一軒回って確認する仕事です。
体力的にはきつかったけど、やりがいはありました。被災した方に保険金が下りるかどうかは私たちの報告書にかかっている。だから手を抜けない。そういう仕事です。
長文になります。文才もないので読みにくいかもしれませんが、三十年ずっと気になっていたことを、ここに書かせてください。判断してほしいんです。あれが何だったのか。
あの年の台風のあと、私はある集落に入りました。丹後半島の付け根あたりにある、山あいの小さな在所です。地名は伏せます。当時の台帳には「十九戸」と記載されていました。たった十九軒。それだけの集落で、数が合わなくなったんです。
Photo by Andy Arbeit on Unsplash
段丘の上に並ぶ家々と、最初の違和感
集落に入ったのは十月の半ば、台風が去ってから十日ほど経った頃でした。
車で府道を走っていくと、谷筋の道から一本だけ細い坂道が分岐していて、その坂を上ると段丘の上に家々が肩を寄せ合うように建っていました。典型的な丹後の山村集落です。黒い板壁、赤茶けた瓦。軒先に柿の木があって、台風で落ちた実が地面に散らばっていた。踏むとぐちゃっと甘い匂いがした。
集落の区長さん、仮にTさんとします。Tさんは七十代くらいの小柄な男性で、私が来ることは事前に連絡してあったので、坂の上で待っていてくれました。
Tさん「遠いとこ、ようおいでくれはった。ほな案内しますわ」
丹後弁の柔らかい口調で、私を集落の端から順番に案内してくれました。屋根瓦が飛んだ家、土壁が崩れた家、雨戸ごと持っていかれた家。一軒ずつ見て、写真を撮って、台帳に記録していく。地味な作業です。
問題は、途中から起きました。
十四軒目か十五軒目あたりを回っている時、Tさんが段丘の端を指さして言ったんです。
Tさん「あっちのタニグチさんとこも、えらいやられとるわ」
タニグチ。私は台帳を確認しました。タニグチという屋号は、載っていません。苗字ではなく屋号です。丹後のこのあたりの集落では、苗字よりも屋号で家を呼ぶ習慣がまだ残っていました。台帳には十九戸ぶんの屋号が全部書いてある。けれど「タニグチ」はない。
私はその時、単純に台帳の記載漏れか、あるいはTさんの言い間違いだろうと思っていました。
Photo by Internet Archive Book Images (No restrictions) via Wikimedia Commons
三人が指す「同じ家」、三つの違う屋号
Tさんに案内されて段丘の東端まで歩くと、確かに一軒の家がありました。他の家より少し低い位置、段丘の縁から斜面にかけて建っているような、不思議な立ち方をした家です。板壁は他の家よりさらに黒く、屋根の一部が台風でめくれていました。人の気配はありませんでした。
私「この家の方は今いらっしゃいますか」 Tさん「タニグチさんは留守にしとるなぁ。まあ見るだけ見て書いといたってくれ」
記載漏れだとしても、被害があるなら報告しないわけにはいきません。写真を撮り、外から見える範囲で損壊の程度を記録しました。
ここまでなら、ただの事務的なミスの話です。
問題はそのあと、別の住民に話を聞いた時に起きました。私は損害調査のとき、必ず複数の住民に聞き取りをします。区長さん一人の証言だけでは報告書として弱いからです。
集落の真ん中あたりに住む年配の女性、仮にUさん。Uさんに「段丘の東端にある家」について聞くと、こう言いました。
Uさん「ああ、ハシモトさんとこやね。あそこもだいぶやられとるわ」
ハシモト。タニグチではなく、ハシモト。
私は少し引っかかりましたが、同じ家に複数の屋号がつくことは、丹後では珍しくないとも聞いていました。古い屋号と新しい屋号が併存していることがある。だから、その時点ではまだ「そういうこともあるか」と思っていました。
ところが、三人目に聞いた時。集落の西端に住む男性、仮にVさんは、こう言ったんです。
Vさん「イケダさんとこか。あの家は昔からちょっと変わっとるでなぁ」
イケダ。
三人が、同じ一軒の家を指して、三つの違う屋号を口にした。タニグチ、ハシモト、イケダ。
私は台帳をもう一度開きました。十九戸ぶんの屋号リスト。タニグチもハシモトもイケダも、どれも載っていません。三つとも、台帳に存在しない屋号でした。
背筋が冷たくなった、というのとはちょっと違います。なんというか、足元の地面がぐにゃっと柔らかくなったような、そういう気持ちの悪さでした。
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段丘の下に並んでいた二十枚の軒札
ここからが、私が三十年間ずっと引っかかっている部分です。
軒札というものをご存知でしょうか。家を建てたとき、あるいは大きな修繕をしたときに、棟木や軒先に打ちつける木の札です。建築年月日、施主の名前、大工の名前などが墨書きされている。古い集落では、建て替えのたびに古い軒札を外して保管する習慣がありました。
台風の被害調査が一通り終わったあと、私はTさんに頼んで、集落の記録を見せてもらいました。台帳との照合をしたかったからです。Tさんは「ほな、こっちに来てくれはるか」と言って、段丘の下にある小さな祠のような建物に案内してくれました。
その建物の中に、軒札が保管されていました。
古いものから新しいものまで、ずらっと並んでいる。一枚一枚、墨で屋号と年号が書かれている。私はそれを数えました。
二十枚。
十九戸の集落に、二十枚の軒札。
一枚多い。
私は何度も数え直しました。間違いなく二十枚です。そして、二十枚目の軒札に書かれていた屋号は、タニグチでもハシモトでもイケダでもない、また別の名前でした。その名前は覚えています。けれど、ここには書きません。書いていいものかどうか、今でも判断がつかないからです。
Tさんにそのことを聞きました。
私「この軒札、二十枚ありますよね。十九戸なのに」 Tさん「ほうか。ほうやなぁ」
それだけでした。驚いた様子もなく、不思議がる様子もなく。ただ「ほうやなぁ」と。
あの時の空気は今でも覚えています。祠の中は薄暗くて、古い木と土の匂いがしていた。外から差し込む光が軒札の墨文字をかすかに照らしていて、二十枚の札がまるで位牌のように見えた。
Photo by Ama Journey on Unsplash
台帳に書き足すよう言われた一戸
調査を終えて、私は報告書をまとめなければなりませんでした。
あの家をどう処理するか。台帳にない家。三人の住民が三つの違う屋号で呼ぶ家。しかし確かにそこに建っていて、台風の被害を受けている家。
上司に相談しました。上司は「現地で確認して家があるなら、台帳に追記して報告しろ」と言いました。事務的にはそれが正しい。被害があるのに報告しないわけにはいかないんです。
けれど、屋号を何と書けばいいのか。
私はもう一度Tさんに電話をしました。
私「あの段丘の東端の家なんですが、正式な屋号は何になりますか」 Tさん「うちの在ではなぁ、あそこは昔からおる家やさかい、そのまま書いといてくれたらええ」
答えになっていません。「そのまま」って、どの名前を。
結局、私は報告書に「確認済み一戸追加」とだけ書いて、屋号の欄は空欄にしました。上司は特に何も言いませんでした。保険金の査定には屋号は必須ではなかったからです。ただ、私の中ではずっと引っかかっていた。
それから数年後、別の仕事で丹後方面に行く機会があり、あの集落の近くを通りました。府道から坂道の入口が見えた。少し迷いましたが、車を停めて坂を上ってみました。
段丘の上には、家々が並んでいました。数えました。
十九軒。
東端の、あの位置に、家はありませんでした。
斜面の草が風に揺れているだけで、建物があった痕跡もなかった。基礎も、石垣も、何もない。ただ、草の匂いと、遠くで鳴くカラスの声だけがありました。
集落の記憶と「数えてはいけない家」
あの体験のあと、私は丹後の民俗について少し調べました。仕事の延長というよりは、個人的にどうしても気になって。
丹後半島の山間部には、集落の戸数を正確に数えることを忌避する風習が、かつて存在したという話がいくつかの民俗資料に残っています。戸数を数えると「増える」あるいは「減る」という言い伝えがある地域が、日本各地に点在しているそうです。柳田國男の『遠野物語』にも、似たような「数が合わない家」の話が記されていたと記憶しています。正確な拾遺番号は忘れてしまいましたが。
宮本常一が記録した西日本の山村にも、「数えるな」と口伝えで禁じられている事柄がいくつかあったとされています。墓の数、地蔵の数、そして家の数。数えると「余計なものが混じる」。そういう言い方をされていたそうです。
あの集落のTさんが、私に対して特に驚かなかった理由が、今ならなんとなくわかる気がします。
あの人たちにとって、あの一軒は「ある」ものだったんです。台帳にはないけれど、そこにある。屋号は人によって違うけれど、「あの家」として認識されている。そして数年後に行ったら、もうなかった。
台風のあとに増えた一戸。台風の前にはなかったのか、それとも普段は見えないだけなのか。そもそも私が見たあの家は、本当に「家」だったのか。
結局あれが何だったのか、今もわかりません。
ただ一つ、はっきり覚えていることがあります。あの家の板壁に触れたとき、指先が異様に冷たかった。十月とはいえ、日中はまだ暖かい日だったのに。木の壁が、まるで冬の井戸水に浸したように冷えていた。あの感触だけが、三十年経った今でも指先に残っています。
長文を読んでくださってありがとうございました。同じような体験をされた方、あるいは丹後の民俗に詳しい方がいたら、教えてもらえるとありがたいです。あれが何だったのか、知りたいんです。
Photo by Mayukh Karmakar on Unsplash
もっと深く知りたい人向けの本
この手の「数が合わない」「地図にない場所」にまつわる怪異に興味がある方に、いくつか本を挙げておきます。
柳田國男『遠野物語』(岩波文庫)。日本の怪異譚の原点ともいえる一冊で、山間部の集落で語り継がれてきた不思議な話が淡々と記録されています。「数が合わない」系の話の源流はここにあると思います。
宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)。民俗学というより、消えゆく日本の村落共同体の記録。あの集落で感じた「よそ者には見せない共同体の記憶」のようなものを理解する手がかりになります。
植木行宣ほか『日本の民俗 京都』(第一法規)。丹後を含む京都府北部の民俗を体系的にまとめた資料で、屋号の体系や集落の構造についても触れられています。
『怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集』(MF文庫ダ・ヴィンチ)。実話怪談のアンソロジーで、土地にまつわる説明のつかない体験談が複数収録されています。私の体験に近い温度感の話がいくつかありました。
本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。
📚 この記事で紹介した書籍
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遠野物語
柳田國男 / 岩波文庫
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日本の民俗 京都
植木行宣 / 第一法規
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忘れられた日本人
宮本常一 / 岩波文庫
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怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集
MF文庫ダ・ヴィンチ
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