世界怪奇録
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2026-08-14その他

瀬戸内の無人島で綱に触れた日、私は「数」に入ってしまった

昭和六十三年、城石の切り出し跡が残る無人島で記録調査に参加した写真係が体験した、綱と残念石にまつわる恐怖。

瀬戸内の無人島で綱に触れた日、私は「数」に入ってしまった
Photo by Walter O on Unsplash

あの島には、まだ誰かが綱を曳いている

昭和六十三年の秋のことです。もう三十年以上前の話になります。

当時、私は地方の小さな印刷会社で写真と版下の仕事をしていました。趣味が高じて史跡の撮影を個人的に続けていたのが縁で、県の文化財関係の方から声をかけていただいたんです。瀬戸内のとある無人島に、江戸期の石切場の遺構がそのまま残っている。記録調査をするから写真係として同行してくれないか、と。

二つ返事で引き受けました。後悔したのは、島に渡ってからです。

長文になります。文才もないので読みにくいかもしれませんが、許してください。ずっと誰にも話せなかったことを、ここに書き残しておきたいんです。

調査チームは全部で六人。県の職員がAさんとBさん、大学の先生がC先生、地元の漁師で船を出してくれたDさん、その息子のE君、それと私。Dさんは六十を過ぎた寡黙な人で、島のことをよく知っていました。E君は二十代半ばで、父親の船を手伝いながら漁をしている青年でした。

出発の朝、港でDさんが一つだけ言ったことがあります。

Dさん「島ん中で、綱には絶対触るなよ」

私はその時、意味がわかりませんでした。

abandoned stone quarry seashore fog Photo by Zeb Zakovics on Unsplash

城へ渡れなかった石たち

島に着いたのは午前九時頃だったと思います。十月の瀬戸内は、朝のうちは靄がかかっていて、島影がぼんやりとしか見えませんでした。船が浜に寄せられると、潮の匂いに混じって、妙に冷たい、湿った石の匂いがしました。洞窟の中にいるような、あの匂いです。

浜から少し登ると、すぐに石切場の跡が現れました。

C先生が説明してくれたところによると、この島は江戸時代の初期、大坂城の築城や修復のために花崗岩を切り出していた場所だそうです。瀬戸内海にはこうした石切場の島がいくつもあって、各藩が担当区画を持ち、大量の石を切り出しては大坂まで船で運んでいた。ところが、切り出したものの何らかの理由で運ばれなかった石がある。割れてしまったもの、大きすぎたもの、あるいは工事そのものが中止になって置き去りにされたもの。それらを「残念石」と呼ぶのだと。

残念石。名前だけ聞くと少し可笑しいんですが、実物を見ると笑えません。

切り出された面がきれいに残っている巨石が、斜面にごろごろと転がっている。いや、転がっているというより、据えられている。中には刻紋が彫られたままのものもありました。刻紋というのは、どの藩が切り出した石かを示す印です。丸に十字、扇、亀甲。宛名が書かれた荷物が、届け先に届かないまま四百年近くそこに置かれている。そういう光景でした。

C先生「この刻紋は細川家のものですね。あちらの大きいのは加藤家。ほら、蛇の目紋が見えるでしょう」

私はファインダー越しに刻紋を追いながら、ひたすらシャッターを切りました。光の加減で彫りの影が変わるので、角度を変えて何枚も撮る。その作業に没頭していたとき、足元に妙なものがあることに気づいたんです。

平場、つまり石を集めて加工していたと思われる平らな地面に、筋が走っていました。幅は三十センチほど。浅い溝のようなもので、浜の方向へまっすぐ伸びている。雨水が流れた跡かと思ったんですが、C先生に聞くと違いました。

C先生「修羅の跡ですよ。石を運ぶときに木の橇を使ったんです。その橇が地面を削った痕跡。面白いでしょう、雨が降ってもここだけ水が溜まらないんです」

四百年前の橇の跡が、今も地面に残っている。水が溜まらないほど石の表面が磨かれている。人間が巨石を引きずった力の痕跡が、地形そのものに刻まれている。

その溝の延長線上、浜の手前あたりに、それはありました。

old frayed rope abandoned shore Photo by Philipp Deus on Unsplash

綱に、触れてしまった

古い綱でした。

直径は五センチほど。素材は麻か藁か、もう判別できないほど朽ちていましたが、形は明確に綱でした。岩に巻きつけるように置かれていて、端が浜の方向に垂れている。修羅の溝の延長線上にあるということは、石を橇に載せて綱で引いた、その綱の残骸なのかもしれません。

C先生とAさんが少し離れた場所で実測作業をしていて、Bさんは別の石の刻紋をスケッチしていました。Dさんは浜で船番。E君だけが、近くで荷物の整理をしていたと思います。

私は綱の写真を撮ろうとして、しゃがみました。風で端が揺れていたので、押さえようと思って、手を伸ばしたんです。

指先が綱に触れた瞬間、後ろからE君の声がしました。

E君「あっ」

振り返ると、E君が固まっていました。顔が白い。瀬戸内の漁師の息子とは思えないくらい、血の気が引いている。

E君「触った? 今、触ったよな?」

私「え、うん。写真撮るのに押さえようと思って」

E君「……親父に言わんといて。頼むから」

意味がわかりませんでした。朝、Dさんが言った「綱には触るな」を、私はもう忘れていたんです。

E君はそれ以上何も言いませんでした。ただ、それからの彼の様子が明らかにおかしかった。私の近くに来なくなったんです。荷物を取りに来るときも、私のそばを通らずに遠回りしていた。

昼食のとき、Dさんが浜から上がってきて、全員でおにぎりを食べました。Dさんは私の顔を見て、少し目を細めました。何も言わなかったけれど、あの目は何かを確認しているようでした。

午後の作業中、一度だけ、C先生が綱のことに触れました。

C先生「あの綱は近世のものじゃないですね。もっと新しい。昭和に入ってから誰かが置いたものかもしれない」

Aさん「祭祀的な意味があるんですかね」

C先生「さあ。Dさんに聞いてみましょうか」

Dさんに聞いたところ、返事はこうでした。

Dさん「あれはな、ここの石を曳くための綱じゃ。まだ曳いとるんよ」

誰が。何を。Dさんはそれ以上何も言いませんでした。C先生も、それ以上は聞きませんでした。

📺 関連映像: 残念石 瀬戸内海 石切場 歴史 — YouTube で検索

帰りの船で気づいたこと

調査は夕方四時頃に切り上げました。日が傾き始めると、島の空気が急に変わるんです。それまで普通に感じていた潮風が、妙に重くなる。気温が下がったのか、それとも別の何かなのか。

浜に降りて船に乗り込むとき、Dさんが全員の顔を順番に見ました。指を折って数えているようでした。

Dさん「……七人」

Aさん「え? 六人ですよ。Dさん、E君、C先生、Bさん、私、写真屋さん」

Dさんは黙って首を振りました。もう一度指を折り、それから海の方を見ました。

Dさん「乗れ。早う」

船が島を離れるとき、私は何となく振り返りました。浜の端に、修羅の溝が見えていました。夕日が低い角度で差し込んで、溝の影が浜までくっきりと伸びている。その溝に沿って、何か細長いものが動いているように見えました。

綱です。あの綱が、浜に向かってゆっくりと引きずられているように見えた。

見間違いだと思いました。風で端が揺れているだけだと。でも、あの綱は岩に巻きつけてあった方の端が動いていたんです。風なら、垂れている方の端が揺れるはずです。

E君が私の肩を掴みました。

E君「見るな。もう見るな」

その声は、朝の「触った?」のときよりもずっと切迫していました。

dark sea silhouette island sunset Photo by arturodonate (BY) via Openverse

後日、E君から届いた手紙

島から戻って一週間ほど経った頃、E君から手紙が届きました。封筒には差出人の名前がなく、中に便箋が一枚。字は丁寧だけれど、ところどころ力が入りすぎて紙が破れかけていました。

手紙の内容を要約すると、こうです。

あの島には昔から決まりがある。石を曳く綱に手を掛けた者は「数」に入る。「数」に入った者は、石が届くまで曳き続けなければならない。石はまだ届いていない。

だから島の人間は綱に触れない。触れた者がどうなるかは、E君自身も詳しくは知らないらしい。ただ、Dさんの父親、つまりE君の祖父が生前にこう言っていたそうです。

「数に入った者は、夜になると手のひらが痛む。綱を握った感触が消えん。それが続くうちは、まだ曳いとる」

手紙の最後に、一行だけ追伸がありました。

「手のひら、痛くないですか」

私は手紙を読んだ瞬間、自分の右手を見ました。綱に触れたのは右手の指先でした。痛みはありませんでした。なかったと思います。ただ、手紙を読んだその夜から、寝る前に右手のことが気になるようになりました。痛いのか痛くないのか。意識すればするほど、わからなくなる。

指先に、ざらざらした感触が残っている気がする。朽ちた繊維の、あの乾いたざらつき。それが消えない。

old letter handwriting dim light Photo by Amaury Gutierrez on Unsplash

三十年以上が過ぎた今も

あれから三十年以上が経ちました。

C先生は数年前に亡くなったと聞きました。Aさん、Bさんとは調査以降会っていません。Dさん、E君のことも消息がわかりません。あの島がその後どうなったのかも、調べていません。調べる気になれないんです。

手のひらの感触は、今もときどき戻ってきます。特に秋口、十月の初め頃。あの調査に行った時期になると、右手の指先がざらつくんです。何かを握っている感触。握っているというより、握らされている。

ある時期、意を決して瀬戸内の残念石について調べたことがあります。大坂城の築城に関する資料には、石の運搬に動員された人夫の数が記録されています。一つの巨石を動かすのに、百人、二百人が綱を曳いたと。その全員が「綱に手を掛けた者」です。

残念石は、届かなかった石です。工事が中止になったり、石が割れたり、何らかの理由で運搬が止まった。でも綱を曳いた人間たちの力は、どこへ行ったのか。四百年分の、届かなかった力。石の表面を磨き、地面に溝を刻むほどの力。

Dさんが言った言葉を思い出します。

「まだ曳いとるんよ」

あれは過去の話ではなかったんだと、今ならわかります。

私は綱に触れてしまった。ほんの指先だけ。一瞬だけ。でもE君は「触った」と言った。Dさんは帰りの船で「七人」と数えた。六人しかいないのに。

七人目は、私が綱を触ったことで「数に入った」何かだったのか。それとも、私自身がもう六人の側ではなくなっていたのか。

結局あれが何だったのか、今もわかりません。ただ、毎年十月になると右手がざらつく。それだけが、あの島に確かに行ったという証拠のように残っています。

長文を読んでくださった方、ありがとうございます。もしこの話に心当たりのある方、瀬戸内の石切場の島に伝わる「綱」の話を知っている方がいたら、教えてほしいんです。

あの感触が何なのか、私はまだわかっていないので。

出典: the-mystery.org「曳かれ続ける島の残念石」

misty seto inland sea islands morning Photo by Carlos Torres on Unsplash

もっと深く知りたい人向け

この話に出てくる「残念石」や瀬戸内の石切場について興味を持った方には、以下の書籍をおすすめします。

『残念石 大坂城についた石についていない石』(上田裕久/東方出版)は、大坂城築城に使われた石材と、運ばれなかった残念石の所在を丹念に調査した一冊です。刻紋の読み解き方から各藩の担当区画まで、この手の話の背景がよくわかります。

『石の虚塔 発見と偽装のミステリー』(上山春平/新潮社)は石器や巨石にまつわる考古学の闇を追ったノンフィクション。石に宿る「何か」への人間の執着が、学術と信仰の境界で揺れる様子が描かれています。

『瀬戸内海の発見 意味の風景から視覚の風景へ』(西田正憲/中公新書)は、瀬戸内という海域がどのように「発見」され、意味づけられてきたかを論じた名著。無人島の多い瀬戸内の風景が持つ独特の静けさの理由が、少しだけわかるかもしれません。

『怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集』(MF文庫ダ・ヴィンチ)は、実話怪談の書き手たちによるアンソロジー。土地に紐づいた怪異譚を多く収録しており、この記事の空気感が好きな方には合うと思います。


本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。

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📚 この記事で紹介した書籍

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    残念石 大坂城についた石についていない石

    上田裕久 / 東方出版

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    石の虚塔 発見と偽装のミステリー

    上山春平 / 新潮社

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