二人しかいないはずの対談音源に、三人目の声が混じっていた話
深夜の文字起こし作業中、録音に存在しない三人目の声を聞いたライターの体験談。声はやがて録音の外へ滲み出す。
ヘッドホンを外せなくなった夜のこと
自分は霊感とかまったくない人間です。四十代、フリーのライター。仕事の半分くらいは取材音源の文字起こしで、もう十五年以上やってます。
深夜にヘッドホンをして、人の声をひたすら聴いて文字に変換していく作業。慣れた人間にとっては半分眠りながらでもできる、退屈な仕事です。退屈だった。あの夜までは。
長文になります。読みにくいかもしれません、許してください。文字起こしが本職のくせに自分の体験をまとめるのは下手です。あと、ここに書くにあたって取材先のAさん(仮名)には連絡を取りましたが、Aさん自身はこの現象にまったく心当たりがないとのことでした。それだけ先に言っておきます。
事の起きた時期は去年の秋口、九月の終わりごろ。場所は自分の仕事部屋。都内のマンションの一室で、防音とまではいかないけれど窓を閉めればほぼ無音になる環境です。当日の録音は、とあるウェブメディアの対談企画。Aさんと、聞き手のライターBさん(これも仮名)の二人だけ。収録場所はAさんの事務所の会議室で、日中、晴れた日に録ったと聞いていました。
自分がやることはシンプル。音源ファイルを再生して、誰が何を言ったかを時系列に書き起こす。それだけ。
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最初に気づいたのは「うん」だった
音源の長さは一時間十二分。再生を始めたのは午前一時すぎ。冒頭の雑談部分を飛ばして、本題に入った十五分あたりから丁寧に起こし始めた。
Aさんの声は低めのバリトンで聞き取りやすい。Bさんはやや高めの、柔らかいトーン。二人の声質がはっきり違うので、被っても判別は楽だった。対談音源としては上出来の部類。ノイズも少ない。
二十三分あたりで、Aさんが自分の仕事観について語る長めのパートに入る。Bさんは聞き役に回っていて、ときどき「ああ」「なるほど」と相づちを打つ。その相づちの合間に、もうひとつ、低い声が混じっていることに気づいた。
「うん」
最初は音源の品質問題だと思った。Aさんの声が反響して二重に聞こえている、あるいはBさんが口の中で小さく頷いた音がマイクに拾われた。そういう解釈。気にせずタイピングを続けた。
だが二十七分あたりから、その声の出現頻度が上がってきた。Aさんが話している最中、Bさんの「なるほど」とほぼ同時に、少しだけ遅れて「うん」が入る。声質はAさんともBさんとも違う。もっとくぐもっていて、遠い。壁の向こうから聞こえてくるような距離感。
念のため巻き戻して、再生速度を0.7倍にして聴き直した。
はっきり聞こえた。三人目がいる。
自分はAさんの事務所に行ったことがある。あの会議室はガラス張りで、中に誰かがいれば外から丸見えだ。収録時には他のスタッフは退室していたとBさんから聞いていた。じゃあこの声は何なのか。
その時点ではまだ、隣の部屋の音が壁越しに漏れたのだろうと思っていた。ビルの構造上ありえなくはない。気味が悪いというより、音質トラブルとしてクライアントに報告すべきかどうか迷っていた。
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声が、録音の外に出てきた
三十四分あたりで、状況が変わった。
Aさんが話の区切りで少し黙る。Bさんも次の質問を考えているのか、二秒ほどの沈黙が生まれる。その沈黙の中で、三人目の声が言った。
「そうだね」
相づちではなかった。Aさんの発言に対する同意。まるで会話に参加しているかのような自然なタイミング。しかも声量がわずかに上がっていて、さっきまでの遠さが消えている。録音の中でマイクに近づいてきたような。
背中に冷たいものが走った。ヘッドホンを外そうとして、やめた。外したら聞き逃す。これが何なのか確かめたかった。職業病みたいなものだと思う。異音の正体を突き止めないと気が済まない。
四十一分。Aさんとの対談がかなり核心に入ってきたところで、Bさんが「ちょっと整理させてください」と間を取る。タイピングの手が止まる。自分はヘッドホンをしたまま、コーヒーカップに手を伸ばして、声に出さずに「あ、冷めてる」と思った。
思っただけ。口には出していない。
ヘッドホンの中で、三人目の声が言った。
「冷めてるね」
手が止まった。カップを持ったまま固まった。自分の部屋は無音。エアコンの音すらしていない九月末の夜。ヘッドホンの中だけに声がある。それが今、自分の動作に反応した。
いや、違う。偶然だ。対談の中で「冷めてる」という単語が出てきただけだ。Aさんが何かの比喩で使ったのかもしれない。巻き戻す。
巻き戻して聴いた。Aさんは何も言っていない。Bさんも黙っている。対談の中の沈黙の時間帯に、三人目だけが喋っていた。
「冷めてるね」
二回目に聴いても同じだった。声はそこにあった。
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雨の音がした
四十八分あたりから、音源の背景ノイズに変化が出た。
それまでクリアだった録音に、かすかな雨音が混じり始めた。シャー、という、窓の外に降る雨の音。収録日は晴れていたはずだ。天気予報を確認したわけではないが、Bさんは「いい天気でしたね」と冒頭の雑談で言っていた。録音の最初のほうにはこんな音はなかった。
雨音は少しずつ大きくなった。Aさんの声にかぶさるほどではないが、確実にそこにある。そして自分の部屋の窓を見た。カーテン越しに、窓ガラスに水滴がついているのが見えた。
九月末の、それまで晴れていた夜に、雨が降り始めていた。
偶然。偶然だと思った。天気が変わることくらいある。録音の雨音と自分の部屋の雨が一致するのは、ただのタイミング。そう自分に言い聞かせた。
五十三分。自分は限界だった。会話の内容がまったく頭に入ってこない。指はキーボードの上にあるけれど、何も打てていない。ヘッドホンの中ではAさんとBさんの対談が続いている。三人目は黙っている。雨音だけが続いている。
自分は独り言を言おうとした。「もう今日はやめよう」と口に出そうとした。
声が出る前に、ヘッドホンの中で聞こえた。
「やめないでよ」
穏やかな声だった。怒っているのでも懇願しているのでもない。ただ静かに、こちらの意思を先回りして否定した。まだ口に出していない言葉を。
ヘッドホンを外した。両手でつかんで引き剥がすように外した。
部屋は静かだった。雨の音がしていた。窓の外の、本物の雨。それ以外は何もない。PCの画面には再生中の波形が流れ続けていた。
ヘッドホンを外したまま、スピーカーからは音を出さず、そのまま再生を止めた。時刻は午前三時十分だった。
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翌日、もう一度聴いた
翌朝。正確に言うと翌日の昼すぎ。寝坊した。
明るい時間帯に、もう一度同じ音源を聴き直した。今度はスピーカーから、部屋に音を出して。
三人目の声は、なかった。
二十三分あたりの「うん」。三十四分の「そうだね」。四十一分の「冷めてるね」。五十三分の「やめないでよ」。全部なかった。Aさんの声とBさんの声だけが、きれいに録音されていた。雨音もなかった。
ファイルが書き換わったのか。自分の聞き間違いだったのか。あるいは深夜のテンションで幻聴を起こしていたのか。どれでもいいから合理的な説明がほしかった。
Aさんに連絡した。「収録の時、会議室に誰かいませんでしたか」。Aさんは怪訝そうに「いないよ、二人だけだったよ」と答えた。「なんで?」と聞かれたので、「ノイズが入ってたみたいなので」とだけ言った。本当のことは言えなかった。
Bさんにも確認した。Bさんは「三人目の声? 録音聴き直したけど何もないよ」と。そりゃそうだ。自分が昼に聴き直しても何もなかったんだから。
あれから数ヶ月経っている。同じクライアントから何本か文字起こしの仕事を受けた。どの音源にも異常はなかった。あの夜だけ、あの時間帯だけ、自分のヘッドホンの中にだけ三人目がいた。
ひとつだけ気になっていることがある。あの夜、「やめないでよ」と言われてヘッドホンを外した後、再生を止めたと書いた。だが音源の残り時間は約十九分あった。自分が聴かなかった十九分間、あの声は何を喋っていたのか。
もう一度深夜に聴けば分かるのかもしれない。でも聴く気にはなれない。聴いたら、今度はヘッドホンを外せなくなる気がしている。
皆さんに聞きたいんです。似たような経験をした人はいますか。録音に、あるはずのない声が入っていた経験。それも、こちらの行動に反応する声。あれが何だったのか、自分にはまったく見当がつかない。
長文失礼しました。読んでくれた方、ありがとうございます。
Photo by CHRSNDRSN on Unsplash
何が分かっていて、何が分かっていないか
この体験で確かなことは少ない。
確かなのは、収録は二人で行われたということ。録音データを昼間に聴き直しても三人目の声は確認できなかったということ。そして、あの夜の自分の部屋に雨が降ったのは事実だということ。天気の記録は調べた。九月末のその日、都内では午前二時ごろから弱い雨が降っている。
分かっていないことのほうが圧倒的に多い。
声の正体。なぜ深夜にだけ聞こえたのか。なぜ自分のまだ口に出していない言葉を先取りできたのか。音源データに物理的な痕跡が残らなかった理由。残りの十九分間に何があったのか。
ネットで調べると、録音にまつわる怪異譚はそれなりに出てくる。EVP(電子音声現象)と呼ばれるものがそれに近い。録音機器が拾う、発生源不明の音声。1950年代にスウェーデンの映像作家フリードリッヒ・ユールゲンソンが鳥の鳴き声を録音中に人の声を発見したとされる事例が有名で、以降オカルト研究の一分野として細々と続いている。
ただ、EVPは通常、再生して初めて発見される「録音済みの声」であって、リアルタイムで聴取者に反応する声ではない。自分の体験はEVPの定義からも外れている。録音されたものではなく、聴いている自分にだけ聞こえる声。しかも翌日には消えている。
怖い話としてまとめてしまえばそれまでだけど、自分にとってはまだ終わっていない話です。あの音源ファイルは今もPCに残っている。削除する勇気もないし、深夜にもう一度聴く勇気もない。
出典: 怖い話 文字起こしの四人目
もっと深く知りたい人向けの本
この手の「録音の怪異」「聞こえるはずのない声」に興味がある人には、以下の本をおすすめしたい。
『新耳袋 第一夜』(木原浩勝・中山市朗、角川文庫)。実話怪談の金字塔で、日常のふとした瞬間に侵入してくる異常の描写が秀逸。録音にまつわるエピソードも収録されている。
『残穢』(小野不由美、新潮文庫)。作家のもとに届く読者の体験談から始まる物語で、「聞こえる音」がじわじわと意味を持ち始める構造は、今回の体験と通じるものがある。
『「超」怖い話』(松村進吉・平山夢明、竹書房文庫)。投稿型実話怪談シリーズの古典。短い話が大量に収録されていて、自分の体験と似たケースがないか探すのに向いている。
本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。
📚 この記事で紹介した書籍
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新耳袋 第一夜
木原浩勝・中山市朗 / 角川文庫
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残穢
小野不由美 / 新潮文庫
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「超」怖い話
松村進吉・平山夢明 / 竹書房文庫
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