世界怪奇録
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2026-08-31その他

古書に挟んだ紙片を抜いても翌朝には戻っている。鉛筆の数字だけが減っていく

買い取った蔵書から抜いた紙片が毎朝同じ頁に戻る。鉛筆書きの数字は抜くたびに減り、柱時計は四分遅れ、誰もいないはずの店に湯呑みが二つ。

古書に挟んだ紙片を抜いても翌朝には戻っている。鉛筆の数字だけが減っていく
Photo by Asep Rendi on Unsplash

M町の古書店で、数が合わなくなった

最初に気づいたのは、梅雨に入って三日目の朝だった。

自分は東京の外れで小さな古書店をやっている者です。店というか、築六十年くらいの木造家屋の一階を改装しただけの場所で、二階に住んでいる。看板は出しているけど、客は一日に二人来ればいい方。ほとんどの売上はネット経由の通販で、店は半分趣味みたいなものです。

この話を書き込むかどうか、正直なところ自分でもよくわからない。怖い話というよりは、ただ数が合わないだけの話なので。でも誰かに聞いてもらわないと、このまま一人で抱えているのがしんどくなってきた。

長文です。文才もないので読みにくいかもしれません。許してください。

あと先に言っておくと、自分は霊感とかまったくない人間です。商売柄、古い本を何千冊と触ってきたけど、変な気配を感じたことは一度もなかった。この仕事を始めて十五年、ずっとそうだった。

話の発端は、ある蔵書の買い取りです。

old japanese bookstore dusty shelves Photo by nofrills (BY-NC) via Openverse

段ボール七箱の中にあったもの

今年の五月の終わり頃、知り合いの同業者から連絡があった。仮にTさんとします。

Tさん「ちょっと頼みたいことがあるんだけど。知り合いの知り合いが亡くなって、遺族が蔵書を処分したいって言ってる。量が多くてうちだけじゃ捌ききれないから、半分引き取ってくれないか」

こういう話はわりとある。故人の蔵書整理。遺族にとっては場所を空けたいだけだから、値段は二束三文でいい代わりに全部持っていってくれという条件が多い。今回もそうだった。

段ボール七箱。届いたのは六月に入ってすぐ、ちょうど梅雨入りの前日だった。

中身は昭和中期から後期にかけての文芸書が中心で、状態はまあまあ。函入りの全集ものがいくつか、文庫が大量、あとは雑誌のバックナンバーが少々。ネットで売れそうなものをより分けて、残りは店頭の百円棚に回す。いつもの作業だ。

三箱目を開けたあたりで、一冊の本に目が止まった。

昭和三十年代に出た短編集で、著者は当時それなりに名の知れた人だったらしいが、自分は名前を聞いたことがなかった。初版、帯なし、函にシミあり。ネットで調べたら、状態が良ければ三千円前後で出ている。まあ悪くない。

問題はその本に挟まっていた紙片だった。

栞のつもりだったのかもしれない。薄い和紙を短冊状に切ったもので、長さは文庫本くらい、幅は二センチほど。古びて少し黄ばんでいるけど、破れてはいない。

その和紙に、鉛筆で数字が書いてあった。

「12」

それだけ。薄い鉛筆の筆跡で、やや右に傾いた癖のある字。裏は白紙。

本の七十三ページと七十四ページの間に挟まっていた。

自分はその紙片を抜いて、作業机の端に置いた。出品用の写真を撮るとき邪魔になるから、栞や書き込みのある紙片は先に抜いておく。それだけのことだった。

その日は他の箱の仕分けもあったので、紙片のことはすぐに忘れた。

old yellowed paper slip dark desk Photo by Fumiaki Hayashi on Unsplash

翌朝、紙片は同じ頁に戻っていた

次の朝。

自分は毎朝六時過ぎに起きて、一階に降りて店のシャッターを半分だけ開ける。換気のためだ。梅雨の時期は特に、本が湿気を吸うのが気になる。

作業机の上を見た。昨日抜いた紙片がない。

一瞬、どこかに落としたかと思って机の下を覗いたけど、見当たらない。それで、ふと例の短編集を手に取った。

七十三ページと七十四ページの間に、紙片が挟まっていた。

同じ和紙。同じ短冊の形。同じ鉛筆書き。

ただし、数字が違った。

「11」

昨日は「12」だった。今日は「11」。

自分は紙片を抜いて、今度はレジの横の小さなトレーに入れた。机の上に置いたのがまずかったのかもしれない。寝ぼけて自分で戻した可能性だってある。数字の記憶違いかもしれない。

その日は一日中、少しだけ落ち着かなかった。でもまあ、気のせいだろうと思った。

翌朝。

紙片はまた七十三ページと七十四ページの間に挟まっていた。

「10」

トレーの中は空だった。

三日目の朝には、もう偶然では済まないと思い始めていた。自分は紙片を抜く前にスマホで写真を撮った。数字は確かに「10」。抜いた後、紙片をビニール袋に入れて、二階の自室の引き出しにしまった。

四日目の朝。引き出しの中のビニール袋は空だった。短編集を開くと、紙片が挟まっている。

「9」

このあたりから、自分の中で何かが静かに壊れ始めた。怖いというより、頭の処理が追いつかない感じだった。

📺 関連映像: 古書店 怪談 不思議な体験 — YouTube で検索

四分遅れの柱時計と、二つの湯呑み

紙片のことと同じ時期に、もう一つおかしなことが起きていた。

店の奥の壁に古い柱時計がある。これは自分が買ったものではなく、この家にもともと掛かっていたものだ。借りたときに大家さんが「好きに使っていいよ」と言ってくれたので、そのまま動かしている。ゼンマイ式で、三日に一度巻く必要がある。

その柱時計が、いつからか四分遅れるようになった。

正確に四分。毎朝スマホの時刻と比べると、必ず四分遅れている。ゼンマイを巻き直しても、翌朝にはまた四分遅れる。それまではほぼ正確に動いていた時計だ。

そしてもう一つ。

ある朝、店に降りると、カウンターの上に湯呑みが二つ置いてあった。

自分は一人暮らしだ。湯呑みは一つしか使わない。洗い物も毎晩済ませてから寝る。なのに朝、カウンターの上に湯呑みが二つ。片方にはうっすらと茶渋がついていて、もう片方は乾いていた。

茶渋のついた方は自分のだった。見覚えのある欠けがある。でももう一つは、棚の奥にしまってあったはずの来客用の湯呑みだった。

これが一度だけならまだいい。三日続いた。

毎朝、二つの湯呑み。片方は使った形跡があり、片方は乾いている。まるで誰かが来て、茶を出されたけれど飲まずに帰ったみたいだった。

あの梅雨の時期、店の中はいつもより湿っぽかった。それは当然だ、梅雨だから。でも湿気の質が違う気がした。古い紙の匂いに混じって、線香のような、でも線香とも違う、甘くて少し苦い匂いがときどきした。鼻の奥にまとわりつくような匂い。換気しても消えなかった。

old japanese wall clock dim room Photo by hyejoon Kim on Unsplash

数字がゼロになった日のこと

紙片の数字は毎日一つずつ減っていった。

「8」「7」「6」「5」。

自分は途中から、抜くのをやめようかとも思った。でもやめられなかった。毎朝あの本を開いて、紙片を確認して、数字を読んで、抜く。それが日課になっていた。抜かなかったらどうなるのか、それを試す勇気がなかった。

「4」の日、Tさんに電話した。

自分「あの蔵書の持ち主って、どういう人だったか分かる?」

Tさん「ああ、聞いた話だと、元は学校の先生だったらしいよ。国語の。定年後に古書の収集にのめり込んで、かなりの量を集めてたって。独り身だったみたいで、亡くなってから発見されるまで少し時間がかかったらしい」

自分「その人、何か変わったことしてなかった? おまじないとか、本に何か書き込むとか」

Tさん「さあ、そこまでは。なんで?」

自分は紙片のことを話さなかった。話しても信じてもらえないだろうし、何より自分自身がまだ信じていなかった。

「3」「2」「1」。

「1」の日の夜、自分は二階で眠れなかった。明日、紙片の数字はどうなるのか。ゼロになるのか。ゼロになったら何が起きるのか。それとも紙片自体がなくなるのか。

一階から柱時計のカチカチという音が聞こえていた。いつもより大きく聞こえた気がする。あと、階段の三段目がきしんだ。風のせいかもしれない。古い家だから、気温や湿度で木が鳴ることはある。でもあの夜のきしみは、重さがあった。人が踏んだときの、あの沈み込むような音だった。

自分は布団の中で目を閉じたまま、朝まで動かなかった。

翌朝。

本を開いた。七十三ページと七十四ページの間。

紙片はあった。

「0」

鉛筆で丸いゼロが一つ、書かれていた。

その日を最後に、紙片は現れなくなった。翌朝も、その次の朝も、七十三ページと七十四ページの間には何も挟まっていなかった。柱時計は正確な時刻を刻み始めた。湯呑みは一つしか出ていなかった。あの甘くて苦い匂いも消えていた。

empty open old book dark lighting Photo by David Masters (BY) via Openverse

何が分かっていて、何が分かっていないか

結局、あれが何だったのかは今もわかりません。

紙片の写真は残っている。「10」から「1」までは毎朝撮った。見返すと確かに数字が一つずつ減っている。筆跡は同じ。紙の質感も同じ。自分が書いたものではないことは断言できる。あんな古びた和紙は店に置いていない。

Tさんに頼んで、故人についてもう少し調べてもらった。元国語教師。昭和一桁生まれ。生涯独身。晩年は近所付き合いもほとんどなく、部屋は本で埋まっていたという。遺族というのは甥にあたる人で、故人とは疎遠だったらしい。

一つだけ気になる話があった。故人は晩年、「本に手紙を挟んで誰かとやり取りしている」と近所の人に話していたそうだ。相手が誰なのかは語らなかった。

あの紙片の「12」という数字が何を意味していたのか。なぜ抜くたびに一つ減ったのか。ゼロになって何が終わったのか。四分遅れの柱時計と二つの湯呑みは、紙片と関係があったのか。

全部わからない。

ただ一つだけ確かなのは、あの十二日間、自分の店に自分以外の「誰か」がいたということだ。茶を淹れ、時計の前に立ち、本を開いて紙片を戻す誰かが。

あの短編集は今も店にある。売る気になれない。七十三ページと七十四ページの間には、もう何も挟まっていない。ときどき開いて確かめる。何もない。それを確認するたびに、少しだけ安心して、少しだけ寂しい。

変な話ですみません。読んでくれた人、ありがとう。

あと、もしこれに似た経験がある人がいたら教えてほしいんです。「本に挟んだものが勝手に戻る」とか、「数字が減っていく紙が出てきた」とか。ネットで調べてもそれらしい話が出てこなくて、自分だけなのかと思うと余計に気持ちが悪い。

misty old japanese town rainy street Photo by Lisheng Chang on Unsplash

出典: the-mystery.org / 抜いても戻る古書の紙片

もっと深く知りたい人向けの本

古書にまつわる怪異や、物に宿る記憶のような話に興味を持った人へ、いくつか挙げておきます。

庄野潤三『古書についてのエッセイ』(講談社文芸文庫)は、本そのものへの偏愛を綴った随筆集で、古書店の空気感を知るにはこれ以上ない一冊。小田光雄『古本屋散策』(論創社)は、全国の古書店を巡った記録で、蔵書整理にまつわるエピソードも多い。怪談としてこの手の話が好きなら『怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集』(MF文庫ダ・ヴィンチ)がおすすめです。日常の隙間に入り込む怪異の質感が近い。江戸時代の不思議な実話集としては根岸鎮衛『耳嚢』(岩波文庫)も、物に宿る怪異の古典的な記録として読み応えがあります。


本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。

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