世界怪奇録
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2026-08-26その他

十万メートルの糸が止まらない。昭和二十六年、上州の製糸場で起きた本当の話

繭が一粒も減らない釜から、検尺器が十万メートルを超えても終わらない糸が出続けた。昭和の製糸場で語られた怖い話。

十万メートルの糸が止まらない。昭和二十六年、上州の製糸場で起きた本当の話
Photo by Brayden Prato on Unsplash

あの釜だけ、繭が減らなかった

祖母が死ぬ前の年に、一度だけ話してくれたことがある。

「あの冬だけは、誰も口に出さなかったけどね。みんな分かっとったよ」

祖母は昭和二十年代、上州の山あいにあった小さな製糸場で「検番」をしていた。検番というのは、繰り出される生糸の太さや品質を見張る役のことで、一日じゅう釜の前に立ち続ける仕事だったらしい。長文になると思います。読みにくかったらすみません。

私をAとします。祖母をS、祖母と同じ工場にいた同僚をYとします。Yさんは祖母より二つ年上で、繰糸の腕がいい人だったそうです。この話は祖母が晩年に私に語ったもので、Yさん本人にはもう確認のしようがない。だから細かい部分は祖母の記憶のままに書きます。

ただ、祖母の口ぶりはあまりにも具体的で、七十年以上前の出来事なのに、温度や匂いまで覚えているようだった。むしろ忘れたくても忘れられなかった、と言ったほうが正確かもしれない。

あれが何だったのか。祖母は最後まで説明できなかったし、私にも分からない。分かる方がいたら、教えてほしいんです。

old japanese silk factory dim interior Photo by Rocky Xiong on Unsplash

「その日の糸」は工場の中で切ってはならない

昭和二十六年のことだという。

祖母が働いていた製糸場は、群馬の山間部にある集落のはずれにあった。富岡製糸場のような大規模な官営工場ではなく、地元の地主が建てた木造の小さな工場で、働き手は近隣の村から来る若い女性が十数人。蒸気で繭を煮て、糸を繰り出す座繰りの延長のような設備だったらしい。

祖母が何度も繰り返し言っていたのが、「作法」のことだった。

その工場には、糸を切るときの決まりがあった。一日の作業が終わって糸を切る。普通はそれだけの話なんだけど、この工場では「その日の糸」は工場の建物の中では絶対に切ってはならないとされていた。

夕方になると、最後の糸を繋いだまま、糸枠ごと工場の裏手にある「蛹塚」まで運ぶ。蛹塚というのは、糸を取り終えた蚕の蛹を埋めて供養する小さな塚のことで、石の祠と古い榊が立っていたそうだ。そこまで糸を繋いだまま歩いていき、塚の前でようやく糸を切る。切った糸の端は土に触れさせる。「糸の切り口を土に返す」と、祖母はそう表現していた。

S「切り口をね、ちゃんと土に返してやらんと、蚕が迷うんだと。先輩にそう教わった」

正直、最初に聞いたときは「昔の人の迷信みたいなものかな」と思った。養蚕には古くから信仰がついて回るし、蚕を「お蚕様」と呼んで大事にする風習は群馬に限らず東日本一帯にあった。だから祖母の話も、そういう民俗的な慣習の一つだろうと。

ところが、この作法が途絶えた冬に、あの出来事が起きた。

abandoned japanese shrine mossy stone Photo by Samuel Berner on Unsplash

機械が来て、作法が絶えた

昭和二十六年の秋、工場に新しい繰糸機が入った。

それまでの手作業に近い設備から、多条繰糸機と呼ばれる半自動の機械に切り替わったのだという。生産効率は上がる。糸の品質も安定する。当時の日本は朝鮮戦争の特需で生糸の需要が急激に伸びていて、小さな工場でも増産を迫られていた時代だった。

問題は、新しい機械では「糸を繋いだまま蛹塚まで運ぶ」という作法ができなくなったことだった。機械の構造上、糸は機械の中で自動的に切断される。枠に巻き取られた状態で出てくるから、切り口を土に返すも何もない。

工場の親方は「時代が変わったんだから仕方ねえ」と言い、年配の女工たちは黙って従った。祖母も、もやもやしたものを感じながらも、新しい機械の操作を覚えることに必死で、作法のことは頭の隅に追いやっていたそうだ。

S「Yさんだけはね、しばらく渋い顔してたよ。『機械はいいけどよ、蛹塚はどうすんのさ』って。でも誰も答えなかった」

その年の冬、工場は例年通り冬繭の処理に入った。冬は生産量が落ちるので、人も少なくなる。祖母とYさん、それからもう二人ほどの女工と、親方、機械の保守をする男が一人。六人ほどで回していたらしい。

十二月に入って何日か経った朝のことだったという。

📺 関連映像: 養蚕 蚕神 信仰 民俗学 — YouTube で検索

十万メートルを超えても、糸が終わらない

その日、祖母は検番として釜の前に立っていた。

繭を煮る釜の湯気で、工場の中はいつも白くぼんやりと曇っている。冬場は外の冷気と中の蒸気がぶつかって、窓という窓が結露で真っ白になる。視界が悪い。音も、機械の回転音と湯が沸く音で、隣の人の声がよく聞こえない。そういう環境だった。

祖母が最初に異変に気づいたのは、検尺器の数字だった。

検尺器というのは、繰り出された糸の長さを測る計器のことで、一つの繭からどれだけの長さの糸が取れたかを記録する。通常、蚕の繭一つから取れる糸の長さはおよそ千二百メートルから千五百メートル。長くても二千メートルに届くことはまずないとされている。

ところがその日、一つの釜から繰り出されている糸の検尺器が、三千メートルを超えていた。

S「最初はね、計器の故障だと思ったの。新しい機械だったし、まだ慣れてなかったから。でもね、目で追ったの。糸を。ちゃんと繭から出てる。一本の、切れてない糸が、ずっと出てる」

祖母は親方を呼んだ。親方も首をかしげて、釜の中を覗き込んだ。繭は確かにそこにあった。煮えた湯の中で、白い繭がゆっくり回りながら、糸を繰り出し続けている。

五千メートル。

一万メートル。

糸は止まらなかった。

通常、繭から糸を引き出していくと、繭はどんどん小さくなっていく。当たり前だ。糸を巻き付けて作った殻なのだから、糸を引けば薄くなり、最後には中の蛹が露出して終わる。

ところが、その繭は小さくならなかった。

S「一万メートル超えたあたりでね、Yさんが釜のそばに来て、繭をじーっと見たの。それで小声で言ったの。『減ってねえ』って」

三万メートル。五万メートル。

検尺器の数字だけが、淡々と回り続けていた。祖母は記録簿に数字を書き続けたが、途中から手が震えてきたという。工場の中の空気が、いつもと違っていた。蒸気の匂いの下に、もう一つ別の匂いが混じっていた。土の匂い。湿った、冷たい土の匂い。冬の工場の中で、なぜ土の匂いがするのか。祖母にはわからなかった。

十万メートルを超えた。

百キロメートルだ。東京から熱海くらいまでの距離を、一粒の繭が吐き出したことになる。繭の大きさは変わっていない。湯の中で、最初と同じ大きさのまま、ゆっくり回っている。

親方が機械を止めた。

S「止めた瞬間にね、工場の中が静かになったの。機械が止まったから当たり前なんだけど、それだけじゃなくて。外の音も消えたの。風の音も、川の音も。何も聞こえなくなった」

誰も何も言わなかった。六人が釜の前に立って、白い繭を見下ろしていた。糸はまだ繭から出たまま、機械の巻取り部まで一本に繋がっている。

Yさんが、ぼそっと言った。

Y「切り口、返してねえからだ」

steaming water old factory dark mist Photo by Klaus Birner on Unsplash

その夜、Yさんがやったこと

祖母の話では、その日の作業はそこで打ち切りになった。

親方は「機械の不具合だろう」と言い張ったが、声に力がなかったそうだ。女工たちは早々に帰され、祖母も家に戻った。けれど気になって眠れなかった。

夜の九時頃、祖母は工場の方角に明かりが見えたという。実家の二階の窓から、工場の屋根がかろうじて見える。そこにぼんやりと灯りが点いていた。

翌朝、工場に行くと、Yさんがすでに来ていた。普段より早い。目の下に隈ができていて、一晩寝ていないようだった。

S「Yさん、昨日の晩、工場に来たでしょって聞いたら、黙ってうなずいた。何したのって聞いたら、『糸を持って蛹塚まで行った』って」

Yさんは一人で夜の工場に来て、釜から繭を取り出し、繭から出たままの糸の端を持って、裏手の蛹塚まで歩いたのだという。真冬の夜、懐中電灯一つで。蛹塚の前で糸を切り、切り口を土に触れさせた。古い作法の通りに。

S「それでどうなったのって聞いたら、Yさん、少し笑ってね。『繭、普通の大きさに戻った』って。朝見たら、ちゃんと蛹が透けて見えるくらい薄くなってたって」

その日以降、あの現象は起きなかった。

ただ、親方はそれから数日後に、工場の裏手に新しい蛹塚を作った。前のものより少し大きい、しっかりした石積みの塚だった。そして新しい機械を使いながらも、一日の終わりには糸の切れ端を蛹塚に持っていく作法が復活したという。

S「親方は最後まで『機械の不具合だった』って言い張ってたけどね。でも蛹塚は作ったし、作法も戻した。口で言ってることと、やってることが違うんだよ。あの人も分かってたんだと思うよ」

祖母はそこで少し黙って、それからこう付け足した。

S「あの糸ね、枠に巻き取った分、どうなったと思う? 翌朝見たら、枠の上で全部ほどけてたの。ぐちゃぐちゃに絡まって。でもね、量がおかしいの。十万メートル分もないの。普通の繭一個分くらいの量しか、枠に残ってなかった」

old wooden spool thread dark room dust Photo by Kelcie Papp on Unsplash

蚕と人のあいだにあったもの

祖母の話を聞いてから、自分なりに少し調べてみた。

養蚕にまつわる信仰や怪異譚は、日本各地に驚くほど多い。蚕はもともと「お蚕様」「お蚕神様」と呼ばれ、家畜でありながら神として祀られる特殊な存在だった。蚕の起源を語る「馬娘婚姻譚」という神話では、娘が馬の皮に巻かれて天に昇り蚕になるという筋書きが語られ、養蚕が「命を糸に変える」営みであることが暗示されている。

糸を切る行為に作法があったという話も、祖母の工場だけのものではないようだ。長野や山梨の養蚕地帯でも、蚕の蛹を埋める塚に糸端を供える風習があったとする記録が残されている。糸を切ることは「蚕の命を断つ」ことと同義であり、その切り口を土に返すことで「蚕の霊を大地に還す」意味があったのだろう。

昭和二十年代は、まさにその古い作法と近代的な機械生産がぶつかった時代だった。効率を追い求めて作法を省略した瞬間、何かが噴き出した。それが本当に超常的な現象だったのか、それとも機械のトラブルと集団心理が重なった結果なのかは、私には判断がつかない。

ただ、一つだけ引っかかっていることがある。

祖母は「土の匂いがした」と言った。蒸気と機械油の匂いが充満する工場の中で、冷たい土の匂いがした、と。あれは蛹塚の匂いだったのではないかと、祖母は思っていたらしい。返されなかった切り口を、塚の側から迎えに来たのだと。

S「蚕はね、人間が飼わないと生きていけない虫なの。野生に戻れないの。だから蚕は人間を恨まない代わりに、ちゃんと送ってやらなきゃいけない。それをサボったら、蚕は迷うんだよ。迷った蚕は、糸を出し続けるしかないんだよ」

祖母がこの話をしてくれたのは、亡くなる前の年の冬だった。あの工場はとっくに取り壊されていて、跡地は杉林になっている。蛹塚がまだ残っているかどうかも分からない。

結局、あの十万メートルの糸が何だったのか、今の私にも分からないままだ。

misty mountain village japan winter Photo by Fabian Mardi on Unsplash

何が分かっていて、何が分かっていないか

分かっていること。昭和二十年代の群馬県山間部には、小規模な製糸場が数多く存在した。養蚕に伴う蛹の供養塚や、糸を切る際の作法が各地にあったことは、民俗学の文献でも確認できる。機械化によってそうした作法が急速に失われたことも、歴史的事実として記録されている。

分かっていないこと。繭一粒から十万メートル以上の糸が出続けたという現象が、物理的に起こり得るのかどうか。検尺器の故障であれば数字の異常は説明できるが、「繭の大きさが変わらなかった」「翌朝には枠の糸が繭一個分に戻っていた」という部分は説明がつかない。

祖母は嘘をつくような人ではなかったけれど、七十年以上前の記憶だ。脚色や記憶の変容がなかったとは言い切れない。Yさんはもう亡くなっていて、他の工員の方々にも確認する術がない。

ただ、一つだけ確かなのは、祖母がこの話をするとき、声が震えていたということだ。七十年経っても、あの工場の湯気の向こうに見えた白い繭のことを、祖母はまだ怖がっていた。

もしこの話に心当たりのある方、養蚕の作法について詳しい方がいたら、教えてもらえるとありがたいです。長文失礼しました。読んでくれた方、ありがとうございます。

出典: 終わらない糸が出る製糸場

もっと深く知りたい人向けの本

この話に出てくる養蚕の信仰や、蚕にまつわる民俗学的な背景をもう少し深掘りしたい人に向けて、いくつか本を挙げておきます。

『蚕 絹糸を吐く虫と日本人』(畑中章宏、晶文社)は、蚕と日本人の関係を信仰から産業史まで幅広く扱った一冊。「お蚕様」がなぜ神になったのか、その根っこを知りたい人に。

『群馬の怖い話 厄よけ封じの怪談実話』(寺井広樹・雨宮淳司、TOブックス)は、群馬県にまつわる怪談を集めた実話系の本。製糸場の話は載っていないけれど、養蚕地帯特有の怪異の空気感が伝わる。

『繭と墓 蚕についての怪しい民俗学』(飯島吉晴)は、蚕の供養塚や馬娘婚姻譚など、養蚕にまつわる怪しい伝承を集中的に扱った本。蛹塚の意味を知りたい人には特に。

『怪談実話 無惨百物語 ゆるさない』(黒木あるじ、竹書房文庫)は、直接養蚕とは関係ないけれど、投稿型怪談の温度感としてこの話が好きな人にはおすすめ。作法を破ったことで何かが目覚める、という構造の話がいくつか収録されています。


本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。

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