世界怪奇録
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2026-06-08その他

取り壊し前の標本室で「番号のない瓶」を開けようとした夜の話

旧校舎の標本室に残された台帳にも載らない瓶。その底に沈む白い影は、夜ごとに硝子の内側へ近づいてきた。

取り壊し前の標本室で「番号のない瓶」を開けようとした夜の話
Photo by Sándor Bányai on Unsplash

五十を過ぎてから、大学の標本室に通うことになった

自分は霊感とかまったくない人間です。

オカルトも怪談も、まとめサイトでたまに読む程度。自分から書き込むなんて一生ないと思ってました。でも去年の秋口に経験したことが、半年以上経った今もどうしても頭から離れない。誰かに聞いてもらいたくて、ここに書きます。

先に断っておくと、俺は五十代の男です。仕事は、ある地方の私立大学で事務職員をやっています。総務課の施設管理担当。簡単に言えば建物の修繕だとか備品の管理だとか、そういう地味な裏方。もう二十年以上やってます。

去年、うちの大学で旧校舎の取り壊しが決まりました。昭和三十年代に建てられた鉄筋コンクリートの三階建て。老朽化がひどくて耐震補強も現実的じゃないということで、ようやく予算がついた。

取り壊しの前に、中に残っている備品や資料を全部整理しなきゃいけない。教室の机や椅子なんかはとっくに運び出してあったんですが、問題は三階の端にあった標本室だった。

生物学科が使っていた部屋で、液浸標本がずらっと棚に並んでいた。ホルマリン漬けってやつです。魚とか両生類とか、瓶に入ったまま何十年も放置されていたもの。生物学科自体がもう十五年前に統廃合で消えていて、標本の引き取り手もなかなか決まらなかった。

俺がその整理を任されたのは、単純に他に人がいなかったから。若い職員は誰もやりたがらないし、教員は「事務方の仕事でしょ」の一点張り。仕方ない。台帳と照合して番号を確認し、処分するもの・移管するものを仕分ける。それだけの作業のはずだった。

長文になります。文才もないので読みにくいかもしれません。すみません。

abandoned university corridor dim light Photo by Ross Sneddon on Unsplash

台帳に載っていない瓶

標本室に初めて入ったのは九月の半ば、まだ残暑が厳しい頃だった。

旧校舎はエアコンなんかとっくに撤去されていて、窓を開けても生ぬるい風が入ってくるだけ。廊下の蛍光灯は三本に一本しか点かない。標本室のドアを開けた瞬間、ホルマリンとも違う、甘いような、でも鉄っぽいような匂いが鼻についた。二十年近く誰も換気していなかった部屋の空気だ。

棚は壁際に四列。瓶の数は全部で百二十ほど。それぞれの瓶には白いラベルが貼ってあって、三桁の番号と種名が手書きで記されている。台帳は事務室の金庫に残っていた昭和四十年代のもので、万年筆の細かい字がびっしり並んでいた。

最初の二日間は順調だった。番号を照合して、状態を記録して、写真を撮る。瓶の中身は大半が褪色していて、元が何だったのか素人の俺にはわからないものも多かったけど、台帳の記載と番号が一致していればそれでいい。

三日目の夕方だった。

奥の棚の一番下、床に近い位置に、一本だけ妙な瓶があった。

他の瓶と同じサイズ、同じ形。でもラベルが貼られていない。番号もない。瓶の蓋には封蝋のようなものがべったりとついていて、他のどの瓶よりも厳重に閉じられていた。

台帳を最初から最後まで確認した。該当する記録はなかった。欄外の走り書きにもない。追加台帳のようなものも見当たらない。

「これ、台帳にないんですけど」

翌日、上司のK課長に報告した。

K課長「ああ、そういうのもあるだろうね。昔の先生が個人的に持ち込んだやつとか。まあ中身確認して、他と同じように処分リストに入れといて」

そう言われて終わりだった。

ただ、中身を確認しようにも蓋が開かない。封蝋がガチガチに固まっていて、手では無理だった。工具で無理に開けるのも標本を傷める可能性があるし、とりあえず後回しにした。

その日の帰り際、何となく瓶を持ち上げて底のほうを覗き込んだ。

液は他の瓶と同じように薄い黄色だった。でも底のほうが少し白っぽく濁っていて、何かが沈んでいるのが見えた。

膝を抱えているように見えた。

小さな、白い、膝を抱えた何か。

最初は標本が崩れて沈んだんだろうと思った。魚の骨とか、そういうものが折り重なってそう見えるだけだと。

でも帰りの車の中で、ずっとあの形が頭に残っていた。

old glass jar dark shelf dust Photo by Siborey Sean on Unsplash

夜ごとの観察

ここからが、俺にもよくわからない話になります。

翌日から俺は、なぜかあの瓶が気になって仕方がなくなった。他の標本の整理を進めながらも、一日に何度もあの瓶のところに行って覗き込んでいた。

白い影は、やっぱり膝を抱えた姿勢に見えた。大きさは拳二つ分くらい。瓶の底に静かに沈んでいる。

一週間ほど経った頃、俺はノートを持ち込んで、あの影をスケッチし始めた。美術の才能なんかないけど、形を記録しておきたいと思った。何でそう思ったのか、今考えても自分でもよくわからない。

最初のスケッチは九月二十日。瓶の底に丸まった、輪郭のぼんやりした塊。

九月二十三日。塊の上部に、頭のような丸みが見えるようになった。

九月二十七日。膝を抱えた腕らしきものの輪郭が、前より少しはっきりしていた。

俺は毎日同じ角度から見ている。照明も同じ位置の蛍光灯。液の濁り具合が日によって変わるとか、そういう合理的な説明はつくかもしれない。温度変化で対流が起きて、沈殿物の形が変わるとか。

でも、変わり方に方向性があった。

日を追うごとに、影は瓶の底から少しずつ上に移動しているように見えた。

十月に入ると、残業で標本室にいる時間が遅くなった。旧校舎は夜になると本当に静かで、自分の足音と蛍光灯のジーッという音しかしない。たまに配管が鳴る。コン、と一回だけ。それだけ。

十月八日の夜。いつものようにスケッチをしていた。

白い影が、瓶の中央あたりまで浮き上がっていた。

一週間前は底にいたのに。

膝を抱えた姿勢は変わらない。でも明らかに位置が変わっている。そして、前よりも硝子の壁に近い位置にいた。

スケッチしている俺の手が、少し震えていたのを覚えている。

その夜、家に帰ってノートを見返した。九月二十日から十月八日まで、十数枚のスケッチ。順番に並べると、白い影が瓶の底から中央へ、そして硝子の内壁へ向かって、少しずつ、少しずつ移動しているのが一目でわかった。

こっちに来ている。

そう思った瞬間、背中から首の後ろにかけて、冷たいものが走った。十月の夜だったけど、あれは気温のせいじゃない。

misty dark laboratory specimen jars Photo by Brooke Balentine on Unsplash

📺 関連映像: 大学 標本室 怪談 ホルマリン — YouTube で検索

同僚のTさんに相談した夜

翌日、同じ総務課のTさんに話をした。Tさんは俺より五つ年上で、この大学に三十年以上いる人。旧校舎のことも、生物学科があった頃のことも知っているはずだった。

俺「Tさん、三階の標本室に番号のない瓶があるの知ってます?」

Tさんはコーヒーを飲む手を止めて、少し考えてから言った。

T「ああ、あるね。昔からあるよ。触らんほうがいいよ」

俺「え、知ってたんですか」

T「知ってるっていうか。俺が若い頃、当時の生物学科の教授がね、あれだけは動かすなって言ってたの。理由は聞いてない。聞ける雰囲気じゃなかった」

俺「台帳にも載ってないんですよ」

T「載せてないんだろうね。載せられないのかもしれないけど」

Tさんはそれ以上は話したがらなかった。ただ帰り際に、小声でこう言った。

T「あの瓶、覗き込みすぎるなよ。昔、助手の人が一人、おかしくなったから」

詳しく聞こうとしたけど、Tさんは「もう帰るわ」と言って先に帰ってしまった。

その夜、俺は標本室には行かなかった。行かなかったけど、家の布団の中で、あの瓶のことをずっと考えていた。

おかしくなった助手というのは誰なのか。何がどう「おかしく」なったのか。

そして、あの白い影は今夜も動いているのか。

empty old university hallway night Photo by Adil Sattarov on Unsplash

最後にスケッチをした日のこと

十月十五日。これが俺が標本室に入った最後の日になった。

その日は朝から曇っていて、旧校舎の三階は昼間でも薄暗かった。標本室に入ると、いつものホルマリンとは違う匂いがした。線香、というのとも少し違う。何かが焦げたような、でもどこか甘い匂い。換気扇は動いていないから、どこから来ているのかわからなかった。

棚の前に立って、番号のない瓶を見た。

白い影は、硝子の内壁にほとんど張り付いていた。

俺が立っている側の壁に。

膝を抱えた姿勢は変わっていない。でも、前は丸まっていた頭の部分が、少しだけ持ち上がっているように見えた。うつむいていたものが、顔を上げかけている。そんな姿勢。

スケッチしようとノートを開いた。鉛筆を握った。

瓶の中の白い影が、揺れた。

液の対流とか、建物の振動とか、そういうものかもしれない。でも俺にはそう見えた。膝を抱えたまま、ゆっくりと首を傾げたように。

こっちを見ている。

硝子一枚を挟んで、あれがこっちを見ている。

鉛筆を落とした。拾わなかった。ノートを閉じて、瓶から三歩下がった。

あの甘い焦げた匂いが、さっきより強くなっていた。

俺は標本室のドアを閉めて、鍵をかけて、階段を降りた。三階から一階まで、走ったかもしれない。覚えていない。事務室に戻って、K課長に言った。

俺「あの瓶、俺には処理できません。専門の業者に頼んでください」

理由は言わなかった。言えなかった。K課長は怪訝な顔をしていたけど、「わかった、他の人に頼む」とだけ言った。

dark staircase old building shadow Photo by Julian Zwengel on Unsplash

あの瓶がどうなったのか、俺は知らない

それから半年以上が経った。

旧校舎の取り壊しは今年の春に始まって、今はもう更地になっている。標本の処分がどう進んだのか、番号のない瓶がどう扱われたのか、俺は確認していない。確認する気になれなかった。

Tさんに一度だけ聞いた。

俺「あの瓶、結局どうなったんですかね」

T「知らん。知りたくもない」

それきりだった。

一つだけ、後日わかったことがある。

生物学科が統廃合される前の最後の教授。N先生という人だったらしい。Tさんが言っていた「あれだけは動かすな」と言った人物。このN先生は退職後、数年で亡くなっている。死因は知らない。

そして「おかしくなった助手」というのは、N先生の研究室にいた大学院生で、ある日突然大学に来なくなり、そのまま退学したという話だった。Tさんも人づてに聞いた程度で、詳しいことは知らないらしい。

その院生が標本室で何を見たのか。N先生があの瓶をどこから持ち込んだのか。なぜ台帳に載せなかったのか。封蝋で厳重に閉じたのは誰なのか。

何もわかっていない。

俺のスケッチノートは、まだ家の引き出しの奥にある。見返す気にはなれない。でも捨てられない。捨てたら何かが変わってしまうような、そんな気がして。

あの瓶の中にいたものが何だったのか、わかる人がいたら教えてほしい。ホントに。

今でも、ふとした瞬間に思い出す。硝子の内壁に張り付いて、ゆっくり顔を上げかけていた、白い影のことを。

あれは標本だったのか。

それとも、標本になりたかった何かだったのか。

あるいは。瓶の外に出たかったのか。

出典: 標本室の番号のない瓶

もっと深く知りたい人向け

液浸標本や博物学の文脈でゾクッとする読書体験を求めるなら、以下の本をおすすめします。

『標本の本 よみがえる博物の記憶』(湯浅浩史/東海大学出版会)は、博物館の裏側にある標本という存在そのものに光を当てた一冊。あの瓶を見た後に読むと、また違った怖さがある。

怪談実話系なら『怪談実話 無惨百物語 ゆるさない』(黒木あるじ/竹書房文庫)。大学や研究施設にまつわる話もいくつか収録されていて、学術の場に潜む薄暗さが味わえます。

もう一冊、『実話怪談 出没地帯』(松村進吉/竹書房文庫)も、建物の取り壊しや解体に絡んだ怪異の話が複数あって、今回の話と空気が近いかもしれない。


本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。

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