世界怪奇録
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2026-06-19その他

「淵をのぞいた三人」のうち、生き残ったのは一人だけだった話

昭和の山奥で測量技師が聞いた鏡淵の禁忌。のぞけば名を取られるという言い伝えを破った三人の、静かすぎる顛末。

「淵をのぞいた三人」のうち、生き残ったのは一人だけだった話
Photo by Say Wah Lee on Unsplash

あの淵だけは見るな、と言われていた

Mさんという人から聞いた話を書きます。

Mさんは測量の仕事をしていた人で、昭和の終わり頃まで全国の山奥を歩いていたそうです。俺の親父の知り合いで、俺が子供の頃に何度か家に来ては酒を飲みながら山の話をしてくれた。怖い話もあったし、笑える話もあった。でも一つだけ、Mさんが絶対に笑わずに語る話があって、それが鏡淵の話だった。

俺自身は霊感もないし、山の仕事をしたこともない普通の人間です。ただこの話だけはずっと頭に残っていて、Mさんが数年前に亡くなったあと、親父に「あの話、書いてもいいかな」と聞いたら「もう関係者もみんないなくなったし、いいんじゃないか」と言ってくれた。

長文になると思います。読みにくかったらすみません。

登場人物を整理しておきます。Mさんが語り手。Mさんと一緒に測量に入った同僚をIさん、現地で案内役をしてくれた集落の青年をTとします。全部仮名です。

dark mountain stream japan mist Photo by Nguyen Minh on Unsplash

昭和四十年代、国土調査で入った山奥の集落

Mさんが鏡淵のある集落に入ったのは、昭和四十年代のことだったという。国土調査の一環で、山間部の地籍を測量する仕事だった。

「車が入れる道はなかった」とMさんは言っていた。最寄りのバス停から歩いて三時間。途中で沢を二つ渡って、杉の植林を抜けると、十数軒の集落がぽつんとある。電気は来ていたけれど電話はなく、郵便は週に二回、麓の郵便局員が届けに来るだけ。そういう場所。

測量は数日がかりの予定で、集落の集会所に泊まり込むことになった。Mさんは当時二十代後半、同僚のIさんは三十代前半。二人とも若くて体力があったから、山仕事は苦にならなかったそうだ。

案内役のTは集落で生まれ育った二十歳そこそこの青年で、地元の地形に詳しいということで区長さんが付けてくれた。物静かだけど山の中ではよく動く、頼りになる男だったとMさんは話していた。

初日の測量は順調に進んだ。夕方、集会所に戻ると区長さんが夕飯を持ってきてくれた。山菜の煮物と、川魚の塩焼き。Mさんたちが酒を出すと区長さんも一杯付き合ってくれて、そこで自然と集落の話になった。

「どこそこの谷は昔崩れたから気をつけろ」「あの尾根は猪がよく出る」。実務的な注意がいくつか続いたあと、区長さんの声がすこし低くなった。

「鏡淵には近づかんでくれ」

Mさんが地図を広げて聞くと、測量予定の範囲からはやや外れた場所に、その淵はあった。沢の上流、岩盤がえぐれて深い壺になっている場所で、水面が鏡のように静かだからそう呼ばれていると。

区長さんはこう言ったという。

「あそこをのぞくと、名前を取られる」

abandoned japanese village mountain fog Photo by Maz on Unsplash

名前を取られるとは何か

Mさんが詳しく聞こうとすると、区長さんは口をつぐんでしまったらしい。代わりにTが、ぽつりぽつりと説明してくれた。

鏡淵には女がいる。淵をのぞくと、水の底からこちらを見ている。目が合うと、女がのぞいた者の名前を呼ぶ。呼ばれた者は、いつか淵に戻ってくる。

「いつかって、いつだ?」とIさんが聞いた。

Tは「分かりません。でも必ず戻る、と言われてます」とだけ答えた。

集落ではこの言い伝えが生きていて、子供の頃から鏡淵には絶対に近づくなと教えられるのだそうだ。淵の周囲には注連縄が張られ、年に一度、正月に区長が幣束を替えに行く。それ以外で淵に近づく者はいない。

Mさんは「ふうん」と聞き流したと言っていた。測量の範囲外だし、わざわざ行く理由もない。Iさんも同じ反応だったらしい。

問題は二日目の午後に起きた。

測量中、Mさんたちは予定のルートを歩いていたのだけれど、沢沿いに上がっていくうちに、地図と現地の地形が微妙にずれていることに気づいた。Tに確認すると「この上に淵がある」と言う。

つまり、測量ルートの延長線上に鏡淵があった。

Mさんは「見に行く必要はない、ここで折り返そう」と言った。でもIさんが「せっかくだから見てみようぜ」と言い出した。若さと好奇心。Mさん自身も正直なところ、ちょっと興味があった。

Tは明らかに嫌がっていた。「やめた方がいい」と繰り返していた。でも結局、三人とも行った。

「Tも来たんだよ。あいつ、俺たちだけで行かせるのが怖かったんだと思う」

沢を十五分ほど上ると、急に開けた場所に出た。岩盤が両側からせり出して、その間に暗い水を湛えた壺があった。直径は四メートルくらい。深さは見当もつかない。水は透明なはずなのに、底が見えない。

注連縄が張ってあった。古びた幣束が風に揺れていた。

空気が冷たかった。真夏だったのに、淵の周囲だけ温度が違ったとMさんは言っていた。湿った岩の匂いと、もう一つ、甘いような腐ったような、妙な匂いがしたという。

📺 関連映像: 山奥 心霊 淵 怖い話 体験談 — YouTube で検索

三人がのぞいた

Iさんが最初にのぞいた。淵の縁に立って、水面を見下ろした。

「何もいねえじゃん」

Mさんも横に立った。暗い水面に自分の顔が映っていた。鏡、というのは確かにそうで、風がないから水面に波紋一つない。自分の顔がくっきり映る。

「そのとき、変な感じがしたんだ」とMさんは言った。

「自分の顔を見てるはずなのに、顔が笑ったんだよ。俺は笑ってないのに」

Mさんはすぐに目をそらした。心臓がばくばくしていた。Iさんはまだのぞいていた。Tは二人の後ろに立って、顔を背けていた。

「のぞくな」とMさんがIさんの肩を引いた。Iさんは「ん?」と振り向いて、それからちょっと首をかしげた。

「なんか、誰かに名前呼ばれた気がした」

Tの顔が真っ青になっていた。

「帰りましょう」

三人は黙って沢を下りた。誰も何も言わなかった。Mさんは自分の影を踏みながら歩いた。後ろを振り返りたくなかったけれど、一度だけ振り返った。淵は見えなかった。ただ沢の音が、さっきまでと違う聞こえ方をしていた。水の音に混じって、何か別の音。声のような。

集会所に戻ってから、Mさんは区長さんに正直に話した。区長さんは長い間黙ってから、「仕方がない」と言った。それから塩を持ってきて、三人の肩に振った。「気休めだけど」と。

翌日、残りの測量を終えて、MさんとIさんは集落を出た。Tは最後まで見送ってくれた。「気をつけてください」とだけ言った。

その後しばらくは何もなかった。MさんもIさんも普通に仕事を続けた。鏡淵のことは酒の席で笑い話にもした。「あれ怖かったな」「いや全然」と。

deep dark pond forest reflection Photo by Teslariu Mihai on Unsplash

五年後と十年後に起きたこと

異変が起きたのは、五年ほど経ってからだった。

Iさんが失踪した。

ある日突然、会社に来なくなった。アパートはもぬけの殻で、荷物はそのまま。財布も免許証も残っていた。警察に届けが出されたけれど、手がかりは何も出なかった。

Mさんは嫌な予感がした。でも鏡淵のことと結びつけるのは、さすがに飛躍しすぎだと思ったという。Iさんは元々ふらっとどこかに行くような性格ではなかったけれど、私生活で何かあったのかもしれない。そう自分に言い聞かせた。

Iさんは結局、見つからなかった。

それからさらに五年ほど経った頃。Mさんのところに、あの集落の区長さんから手紙が届いた。あの集落には電話がなかったから、手紙だった。

内容はこうだった。

「Tが淵で死にました」

Tは数日前から様子がおかしかったらしい。夜中にふらりと家を出て、山の方に歩いていくのを家族が何度か目撃していた。引き止めると「呼ばれとる」とだけ言ったという。

ある朝、Tの姿が見えなくなった。集落の人間が探しに行くと、鏡淵にTの草履が揃えて置いてあった。淵の水は以前と変わらず静かで、底は見えなかった。

遺体は上がらなかった。

Mさんはこの手紙を読んだとき、はじめて震えたと言っていた。「俺にも来るのか」と思ったと。でも、それから何十年経っても、Mさんには何も起きなかった。

「俺はあのとき、水面の自分が笑ったのを見てすぐ目をそらした。Iは長いこと見てた。Tはのぞかなかったけど、あの淵のそばで生まれ育った。それが関係あるのかどうか、俺には分からない」

Mさんはそう言って、いつも話を終えた。

misty mountain shrine abandoned rope Photo by Chulho Choi on Unsplash

あの淵のことを、今も考える

鏡淵の話を聞いたのは俺が中学生くらいの頃で、それからもう二十年以上経つ。Mさんは数年前に病気で亡くなった。鏡淵とは関係のない、普通の病死だった。

あの集落が今どうなっているのか、俺は知らない。昭和の終わりにはもう過疎が進んでいたとMさんは言っていたから、今は誰も住んでいないかもしれない。鏡淵の注連縄を替える人もいないかもしれない。

俺がこの話を書いたのは、Mさんの供養みたいなものです。Mさん自身が「誰かに伝えておきたい」と言っていたことがあったから。

水面をのぞくと名前を取られる。名前を取られると、いつか戻ってくる。それがどういう仕組みなのか、そもそも仕組みなんてものがあるのか、俺には全く分からない。

ただ、水辺の怪異というのは日本各地にあるらしい。淵に引き込まれる話、川で名前を呼ばれる話、池に顔が映る話。Mさんの話もその一つなのかもしれないし、もっと別の何かなのかもしれない。

一つだけ気になっていることがある。Mさんは「水面の自分が笑った」と言った。でもMさん自身は笑っていなかった。あれは本当にMさんの顔だったのか。それとも、水の底から何かが見上げていたのか。

Mさんに聞きそびれたまま、もう聞けなくなってしまった。

もしこの話と似たような言い伝えを知っている方がいたら、教えてほしいです。あるいは「鏡淵」という名前の場所に心当たりがある方。日本のどこかに、まだあの淵はあるのかもしれません。

長文失礼しました。読んでくれた方、ありがとうございます。

empty forest path dark japan Photo by Ryuta on Unsplash

出典: the-mystery.org

もっと深く知りたい人向けの本

水辺の怪異や山村の禁忌に興味を持った方には、以下の本がおすすめです。

『遠野物語』(柳田國男、岩波文庫)。日本の民間伝承の原点。河童や淵にまつわる話も多く、鏡淵の話と通じるものがある。

『日本の伝説』(柳田國男、新潮文庫)。全国各地の伝説を柳田が採集したもの。水にまつわる禁忌の話がいくつも収録されている。

『山怪 山人が語る不思議な話』(田中康弘、山と溪谷社)。現代の猟師や林業従事者から聞き取った山の怪異譚。Mさんのような測量技師の話とも重なる世界。

『禁忌習俗事典』(柳田國男、河出文庫)。日本各地の「してはいけないこと」を体系的にまとめた一冊。淵をのぞくな、名前を呼ぶな、といった禁忌の背景を知る手がかりになる。


本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。

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