世界怪奇録
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昭和六十三年の夏、廃鉱の地下で録った「無音」に残っていたもの

深夜番組のために廃鉱で一晩の無音を録音した。だが翌朝、テープには喋らなかったはずの自分の返事が入っていた。

昭和六十三年の夏、廃鉱の地下で録った「無音」に残っていたもの
Photo by Marlon Medau on Unsplash

降りたときは、十三段だった

去年の暮れ、実家の押入れから段ボールが一箱出てきた。

母が「あんたの古い仕事道具でしょ、捨てていい?」と聞くので中を見たら、カセットテープが何十本か入っていた。ラベルには走り書きで日付と場所が書いてある。テレビの音声技術をやっていた頃の仕事用テープだ。ほとんどは捨てたんだが、一本だけどうしても捨てられないものがあった。ラベルにはこう書いてあった。

「63/8 ○○鉱山飯場跡 環境音(無音)」

それを見た瞬間、三十年以上前の夏の記憶が一気に戻ってきた。

長文です。読みにくいかもしれません。でも一度どこかに書いておかないと、このまま自分の中だけで腐っていく気がして。仕事仲間はもう連絡が取れない人も多いし、当時のディレクターも数年前に亡くなった。だから細部は私の記憶だけが頼りで、曖昧なところもあると思う。それでも読んでくれる人がいたら、ありがたいです。

私のことは「録音屋」とでも思ってください。昭和の終わり頃、テレビやラジオの音声技術の仕事をしていた人間です。霊感は一切ない。怖い話も別に好きじゃない。ただ、あの夜に起きたことだけは、三十年以上経っても説明がつかないままでいる。

abandoned mine entrance dark forest Photo by Nik on Unsplash

深夜番組の「無音素材」という仕事

昭和六十三年の夏だった。

当時、深夜帯のドキュメンタリー番組を制作しているプロダクションから、ちょっと変わった依頼が来た。番組の演出上、「本当の無音」が欲しいというのだ。

テレビの音声を扱ったことがある人なら分かると思うが、「無音」というのは意外と難しい。スタジオで録っても空調のノイズが乗る。野外なら風や虫の声が入る。完全な静寂を録音するには、人工的な音が届かず、なおかつ自然音も極限まで少ない閉鎖空間が必要になる。

ディレクターのTさんがロケハンで見つけてきたのが、東北のある廃鉱の飯場跡だった。鉱山自体は昭和四十年代に閉山していて、坑道は封鎖されている。ただ、鉱夫たちが使っていた飯場の建物は残っていて、その地下に食料庫か何かに使われていたらしい部屋があるという。

「地上から離れてるし、コンクリで囲まれてるし、虫もいない。完璧だよ」

Tさんはそう言って笑った。

ロケは私とTさん、それからアシスタントのH君の三人。H君はまだ二十代前半で、現場経験は浅かったが真面目な青年だった。

現地に着いたのは八月のある日の夕方。山の中腹にその建物はあった。木造の平屋で、屋根の一部が崩れかけている。周囲は杉林で、夏なのに日が差さない。湿った土の匂いと、どこか甘い腐葉土の匂いが混じっていた。

建物に入ると、板張りの床がところどころ抜けている。奥に進むと、コンクリートの階段が下に向かって伸びていた。幅は人ひとりがやっと通れるくらい。壁は苔なのかカビなのか、緑と黒のまだら模様になっていて、触ると指先がじっとりと濡れた。

dark concrete staircase underground abandoned Photo by Paul Lichtblau on Unsplash

階段を数えたのは、癖みたいなものだった

私には現場に入る前に周囲の状況を確認する癖がある。音声の仕事をしていると、ノイズの発生源を事前に潰しておく必要があるからだ。床の軋み、壁の隙間風、水滴の音。そういうものを一つずつチェックしていく。

階段を降りるとき、自然と段数を数えていた。

十三段。

地下の部屋は思ったより広かった。六畳くらいか。天井は低く、手を伸ばせば届く。コンクリートの壁と床。窓はない。換気口らしい穴が壁の上部に一つあったが、向こう側は完全に塞がっていた。

Tさんが懐中電灯で照らしながら「いいじゃん」と言った。確かに、ここなら外の音はほぼ入らない。試しに三人で黙って耳を澄ませてみた。何も聞こえない。自分の血流の音だけが、耳の奥でかすかにうねっている。そういう静けさだった。

録音の段取りはこうだった。この地下室にレコーダーとマイクを設置して、一晩回しっぱなしにする。ただし「無人の無音」では駄目で、番組の演出上、誰かがその場にいる状態での無音が欲しいとTさんは言う。人がいるのに何の音もしない、その気配だけが録れれば理想的だ、と。

結局、私がひとりで地下に残ることになった。Tさんは地上の車で待機、H君は交代要員として建物の入口付近で寝袋にくるまるという手筈だ。

夜の十時頃、機材のセッティングが終わった。マイクは部屋の中央、レコーダーは壁際に置いた。テープは長時間録音用のもので、片面で三時間は回る。両面使えば六時間。深夜から明け方まで持つ計算だった。

Tさんが「じゃ、よろしく」と言って階段を上がっていった。足音が遠ざかり、上の扉が閉まる音がした。

そこから先は、ただ座っているだけの仕事だ。懐中電灯は消した。電池の消耗もあるし、光があると余計な音が出ることもある。暗闇の中で、壁にもたれて目を閉じた。

この部屋の空気は重たかった。温度というよりも、圧のようなもの。肩の上に何か薄い布を一枚乗せられたような、そういう重さが常にあった。夏だというのに、じんわりと冷えてくる。コンクリートが蓄えた冷気が足元から這い上がってくるのだと、そのときは思っていた。

📺 関連映像: 廃鉱 飯場跡 無音 怪談 録音 — YouTube で検索

テープを聴き返したとき、血の気が引いた

一晩中、私は起きていた。眠るなと言われていたわけではないが、この環境で眠れるわけがない。暗闘の中でじっと座っていると、自分の呼吸がやけに大きく聞こえる。呼吸を浅くすると、今度は心臓の音が気になる。体というのは本当にうるさい。何度か姿勢を変えたが、そのたびに衣擦れの音がマイクに拾われるのではないかと気になって、結局ほとんど動かなかった。

途中、一度だけ奇妙なことがあった。

何時頃だったか分からない。時計は持っていたが暗くて見えなかった。ふいに、誰かが私の名前を呼んだような気がした。声というほどはっきりしたものではない。空気の流れが、たまたま自分の名前に似た音の並びを作った。そういうレベルの、本当にかすかなものだった。

私は何も答えなかった。答えたつもりは、ない。

朝になり、上から光が差してきた。換気口の隙間から朝日が漏れているのだと分かった。しばらくして、上の扉が開く音がした。H君が降りてきて「お疲れ様です」と言った。私は立ち上がり、レコーダーを止めて機材を片付けた。

階段を上がるとき、また段数を数えた。

十四段。

足が止まった。振り返って、もう一度上から数え直した。H君が「どうしました?」と聞く。「いや、何でもない」と答えた。数え間違いだろうと思った。昨夜は暗かったし、降りるときに一段見落としたのかもしれない。そう自分に言い聞かせた。

問題はテープだった。

東京に戻ってから、Tさんの事務所でテープを聴いた。ヘッドホンで、音量を上げて。最初の二時間ほどは予定通りの無音だった。かすかに私の呼吸音が入っている程度で、ほぼ完璧な素材だった。

テープが二時間半を過ぎたあたりで、Tさんが突然ヘッドホンを外した。

顔が白い。

「おまえ、喋ったか?」

喋っていない。一晩中、一言も発していない。それが仕事だったのだから。

Tさんが無言でテープを巻き戻し、該当部分をもう一度再生した。私もヘッドホンを着けた。

無音の中に、声が入っていた。

私の声だった。

「はい」

たった一言。はっきりと「はい」と返事をしている。自分の声だと分かる。音質も、声の高さも、間違いなく私だった。

しかし私は、あの夜、一言も喋っていない。誰かに名前を呼ばれたような気がした瞬間はあった。だが声は出していない。口は開かなかった。それだけは確信がある。

Tさんは長い沈黙のあと、テープをデッキから抜いた。「この素材は使わない」とだけ言った。

old cassette tape recorder dark room dust Photo by Yanhao Fang on Unsplash

あの飯場跡には、もう行けない

その後、あの場所には一度も行っていない。

Tさんに聞いても「忘れろ」としか言わなかった。H君にも話したが、彼は地上にいたので地下で何があったかは分からない。ただ、H君はひとつだけ気になることを言った。

「あの建物、朝に外から見たとき、窓のない壁のほうに影が映ってたんですよね。人の影。でも中には先輩しかいないはずだし、先輩は地下にいたわけで。変だなとは思ったんですけど、木の影かなって」

Tさんが亡くなったのは数年前のことだ。葬儀のあと、ご家族に許可をもらって遺品を少しだけ見せてもらった。あのテープがあるかもしれないと思ったからだ。しかし、見つからなかった。Tさんが処分したのか、どこかに仕舞い込んだのか。

あの鉱山についても、自分なりに調べてみたことがある。閉山の経緯は一般的なもので、資源の枯渇と人手不足が原因とされている。ただ、地元の古い人に聞くと、閉山の少し前に飯場で若い鉱夫がひとり亡くなっているらしい。事故だったのか、それ以外の理由だったのかは、話す人によって違った。

階段の段数のことは、今でも気になっている。十三段と十四段。コンクリートの階段が一晩で一段増えるわけがない。降りるときに数え間違えた。それが一番合理的な説明だ。でも、私は音声の仕事を何十年もやってきた人間で、現場の確認は徹底する性分だ。段数を数え間違えるということが、自分に限ってあり得るのかどうか。正直、分からない。

テープに入っていた私の「はい」という返事。あれは何に対する返事だったのか。誰が呼んだのか。そもそも、本当に私の声だったのか。ヘッドホン越しに聞いた自分の声が、自分の声でないという可能性はあるのか。

結局、何も分からないままだ。

misty abandoned wooden building mountain japan Photo by Maz on Unsplash

押入れのテープは、まだそこにある

去年の暮れに実家の押入れから出てきたテープの話に戻る。

ラベルには「63/8 ○○鉱山飯場跡 環境音(無音)」と書いてある。だが、このテープはTさんが事務所で抜き取ったはずのテープとは別物だ。私が予備で回していた二本目。本番のテープはTさんが持っていった。この二本目は、機材チェック用に短時間だけ回したもので、おそらく十分か十五分程度しか録れていない。

再生する勇気は、まだない。

カセットデッキ自体がもう家にない、というのもあるが、それは言い訳だろう。デッキなんて中古で買える。聴こうと思えば聴ける。でも聴かない。聴きたくない。

もしこの二本目のテープにも何か入っていたら、私はどうすればいいのか分からない。入っていなかったら、それはそれで、Tさんと二人で聴いたあの「はい」は何だったのかという問いがより深くなるだけだ。

あの地下室で、私の隣に誰かがいたのかどうか。

いたとして、その誰かは今もあの場所にいるのか。

私が「はい」と答えたことで、何かが始まってしまったのか、それとも何かが終わったのか。

三十年以上経った今も、答えは出ていない。テープは押入れの奥で、ラベルを上にして静かに横たわっている。

もしこういう体験をした人がいたら、教えてほしい。テープは聴くべきなのか。このまま捨てるべきなのか。それとも、触らずに置いておくのが正解なのか。

長文失礼しました。読んでくれた人、ありがとう。

old japanese wooden shelf dust cassette tapes Photo by Mick Haupt on Unsplash

出典: 無音のテープに入った返事 - the-mystery.org

もっと深く知りたい人向け

録音や音にまつわる怪談、廃墟での実話怪談に興味がある人には、以下の本がおすすめです。

『新耳袋 第一夜』(木原浩勝・中山市朗 / 角川文庫) は実話怪談の金字塔。短い話が積み重なっていく構成で、今回のような「仕事中に遭遇した怪異」に近いエピソードも収録されています。

『現代怪談 地獄めぐり』(松村進吉 / 竹書房文庫) は、取材・体験ベースの怪談を集めたもので、場所に紐づく恐怖の描写が秀逸。

『怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集』(幽編集部編 / MF文庫ダ・ヴィンチ) は、実話をベースにしたアンソロジーで、職業上の怪異体験を語る作品が複数あります。

『禁忌 封印された怪談』(小池壮彦 / 河出書房新社) は、心霊スポットや廃墟の取材を長年続けてきた著者による、場所と記憶の関係を掘り下げた一冊。今回の廃鉱のような「閉ざされた場所」に興味がある人に。


本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。

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