昭和三十三年、有明の干拓地で開いた映写会で「三つ多い頭」を数えた夜の話
巡回映写技師が有明海沿いの干拓集落で開いた野外上映会。癖で数えた観客の頭が、村の人数より三つ多かった。
あの晩から三十年、誰にも話せなかった
今から三十年ほど前に、やっと人に話せるようになった出来事です。
体験そのものは昭和三十三年の秋。私はまだ二十代半ばで、県の教育委員会から委託を受けた巡回映写技師をやっていました。映写技師といっても大げさなものではなくて、十六ミリの映写機とフィルム缶を軽トラに積んで、電気の来たばかりの集落や学校を回る、いわゆる「移動映画館」の係です。
文才がないので読みにくいかもしれません。それでも書き残しておきたくて、初めてこういう場所に書き込みます。
あの夜のことを思い出すと、今でも背中に冷たいものが走ります。有明海沿いの、干拓が完工して間もない小さな集落でのことです。あそこには「潮が来なくなった土地」に、潮と一緒に何かが残っていた。そうとしか言いようがないんです。
当時の自分の癖で、映写会の最中に必ず観客の頭数を数えるんですが、その晩だけ、勘定が合わなかった。
有明の端っこ、堤防の内側にできた村
昭和三十三年というのは、有明海沿岸でいくつもの干拓事業が仕上がった時期です。海を締め切って、潮が入らなくなった土地を田んぼにする。それが干拓で、佐賀や長崎、熊本の沿岸部ではごく当たり前の光景でした。
私が呼ばれたのは、そういう干拓地の端にできた集落のひとつです。地名は伏せます。仮にT集落としておきます。戸数は十四。人口にして大人と子どもを合わせて五十人ほどの、本当に小さな村でした。
T集落には前の年に電灯が引かれたばかりで、映写会の依頼が教育委員会に届いたのは夏の終わりごろ。秋祭りに合わせてやってほしいと、区長さんから手紙が来ていました。
私は九月の下旬、昼過ぎにT集落に入りました。軽トラで堤防沿いの一本道を走っていくと、左手は広大な干拓田。右手は、かつて海だった低い湿地帯が残っていて、葦が生えている。風がないのに葦がざわざわ揺れていたのを覚えています。ざわざわというよりは、底のほうからぬるりと押されるような、そういう揺れ方でした。
集落に着くと、区長のIさんという六十がらみの男性が迎えてくれました。
Iさん「先生、遠かったでしょう。今晩はうちに泊まってもらいますけん」
「先生」と呼ばれるのは映写技師にはよくあることで、別に教師ではありません。Iさんは非常に人当たりの良い方で、奥さんと息子さん夫婦の四人暮らし。映写会の会場は集落の中心にある公民館の前庭を使うことになっていました。
公民館といっても木造の小さな建物で、壁に白い幕を張ればそこがスクリーンになる。電源は公民館の中から延長コードで引く。そういう簡素な仕組みです。
ひとつ気になったのは、Iさんが私に何度も言ったことでした。
Iさん「先生、この辺は夜になると風がなくても幕がばたつくことがありますけん。気にせんでください。潮がおらんようになってから、そういうことがあるとです」
「潮がおらん」。潮が来なくなった、という意味です。干拓で堤防を閉じたので当たり前のことなんですが、Iさんの言い方がどうにも引っかかった。「潮が止まった」でも「海がなくなった」でもなく、「潮がおらんようになった」。まるで潮を、生き物のように言っている。
幕の裾が、下から膨らんだ
夕方五時ごろから準備を始めました。公民館の正面の壁に白幕を張り、前庭にゴザを敷いて、映写機を据える。フィルムはニュース映画と、劇映画が一本。劇映画の題名は忘れてしまいましたが、時代劇だったと思います。
日が暮れるころには集落の人がぞろぞろ集まってきました。子どもたちが一番前にかたまって、その後ろに大人たちが座ったり立ったりしている。電灯がぽつぽつと灯っているだけの暗い前庭に、映写機の光がすうっと白幕を照らすと、それだけでわあっと歓声が上がる。まだ映画が始まってもいないのにです。
ニュース映画を回しながら、私はいつもの癖で客の頭を数えました。
映写技師というのは、映写中はやることがほとんどありません。映写機の番をしながら、暇つぶしに客の頭を数える。これは先輩技師から教わった習慣で、報告書に「観客数およそ何名」と書くためのものです。正確じゃなくていい。ざっと数えればいい。
数えました。五十三。
おかしいな、と思いました。Iさんから聞いた集落の人口は五十。この辺りは隣の集落まで二キロ以上離れていて、わざわざ歩いてくるような距離ではありません。まして夜です。五十三。三つ多い。
もう一度数えました。やっぱり五十三。
ここで怖くなったわけではありません。数え間違いだろうと思ったし、近くの農家から来た人がいるのかもしれない。それくらいにしか考えなかった。
怖くなったのはその次です。
劇映画に切り替えてしばらく経ったころ、風がぴたりと止みました。さっきまでかすかにあった空気の流れが、完全になくなった。湿った土の匂いと、それからかすかに、磯の匂いがしました。干拓地なのに。堤防の向こうはもう海ではなくて、田んぼのはずなのに、潮の匂いがする。
そして、白幕の裾が動きました。
風がないのに、幕の下端が、内側からふくらむように動いたんです。何かが幕の裏側から押しているような。ゆっくりと、ゆっくりと、呼吸をするように膨らんで、戻って、また膨らむ。
Iさんが言っていたのはこれか、と思いました。「風がなくても幕がばたつく」。ばたつくというよりは、膨らむ。まるで幕の裏側に誰かが立っていて、身体を押し付けているような。
客は誰も気にしていないようでした。映画に夢中で、幕の裾なんか見ていない。子どもたちはきゃあきゃあ笑っているし、大人たちも静かに見入っている。私だけが、映写機の横から、あの幕の裾を見ていた。
📺 関連映像: 有明海 干拓 歴史 ドキュメンタリー — YouTube で検索
映写機の光の中に映ったもの
映画が中盤にさしかかったころ、私はもう一度だけ頭を数えました。
五十三。
変わっていない。三つ多い。
このとき初めて、妙な寒気を感じました。九月の下旬といっても有明の沿岸はまだ蒸し暑い時期で、半袖でも汗をかくくらいです。それが急に、足元からすうっと冷たいものが上がってきた。地面の中から冷気が這い出してくるような、そういう冷え方でした。
私は客の後ろ姿をもう一度、今度はゆっくりと見渡しました。ゴザの上に座っている人、その後ろに立っている人。映写機の光が白幕に当たって、その反射で客の背中がうっすら照らされている。
端から順番に数えていって、右端の、少し離れたところに座っている三人に目が止まりました。
大人が二人と、子どもが一人。三人とも後ろ姿しか見えません。ゴザの端ではなく、ゴザから少し外れた地面の上に直接座っていました。服装がよく見えない。暗いからかもしれないけれど、輪郭がどうにもはっきりしない。他の客は映写機の光を反射して背中が白っぽく浮かび上がっているのに、その三人だけ光を吸い込んでいるように暗い。
私は思わず映写機から離れて、二、三歩前に出ました。もう少し近くで見ようとした。
そのとき、三人のうちの子ども、たぶん子どもだと思うんですが、その小さいほうが首だけをこちらに回しました。
顔は見えませんでした。暗くて見えなかったのか、そもそも顔がなかったのか、今でもわかりません。ただ、首が回った。こちらを見た。それだけは確かです。
私は映写機のところに戻りました。手が震えて、フィルムのリールを押さえるのが難しかった。
映画が終わるまでの残り三十分ほど、私は一度も客のほうを見ませんでした。
Photo by Nuno Antunes on Unsplash
翌朝、Iさんに聞いたこと
映画が終わって、客がぞろぞろ帰っていくのを片付けながら見送りました。もう一度数える勇気はありませんでした。
Iさんの家に戻って、遅い夕食をいただきながら、私は何気ない風を装って聞きました。
「今晩、よそから来た人はいましたか。隣の集落とか」
Iさんは首をかしげました。
Iさん「いや、おらんはずですよ。隣はここから三キロ近くありますし、あっちはあっちで映写会をやってもらう予定があるけん、わざわざ来んでしょう」
「そうですか。ちょっと人数が多いような気がしたもので」
このときIさんの表情が、一瞬だけ変わりました。笑顔がすっと消えて、何か考えるような顔になった。でもすぐに元に戻って、こう言いました。
Iさん「先生、ここは干拓する前は海の底だったとです。潮が来とった頃は、いろんなものが潮と一緒に上がってきよった。魚だけじゃなか。漁師はみんな知っとった。潮に乗ってくるモンがおると」
「潮に乗ってくるモン」。Iさんはそれ以上は言いませんでした。私も聞けませんでした。
翌朝、私は早めにT集落を出ました。軽トラで堤防の道を走りながら、一度だけ振り返りました。朝もやの中にT集落の屋根が見えて、その向こうに広がる干拓田は、灰色の霧に沈んでいました。
そしてかすかに、朝なのに、潮の匂いがしました。
Photo by Siraj Shahjahan on Unsplash
数えてしまった者の話
その後、私は巡回映写技師をさらに数年続けましたが、T集落に再び呼ばれることはありませんでした。区長のIさんから翌年もう一度依頼の手紙が来たのですが、日程が合わず、別の技師が行ったはずです。その技師に後から聞いたところ、「別に何もなかった。五十人ちょうどだった」とのことでした。
ただ、その技師はこうも言いました。
「幕が変な動き方しとったな。風がないのに。Iさんに聞いたら、潮の名残だと言いよった」
潮の名残。
あの三人が何だったのか。なぜ私が数えたときだけ三つ多かったのか。顔のない、あるいは顔が見えなかった子どもは何者だったのか。
三十年間、誰にも話せませんでした。話したら何かが起きるとか、そういう迷信的な恐怖ではなくて、話しても信じてもらえないだろうという気持ちと、もうひとつ、あの晩の感覚をもう一度言葉にするのが怖かったんです。足元から這い上がってくる冷気。磯の匂い。幕が呼吸するように膨らむ動き。首だけ回した子どもの輪郭。
有明海の沿岸には、干拓以前からさまざまな言い伝えがあります。潮が引くときに何かを置いていく。潮が満ちるときに何かを連れてくる。漁師の間では「潮の客」という言い方があったと、ずっと後になって民俗学の本で読みました。潮と一緒に現れて、潮と一緒に帰っていく存在。でも堤防を閉じて潮が来なくなったら、帰れなくなるんじゃないか。
Iさんの言葉が今も耳に残っています。「潮がおらんようになった」。潮がいなくなった。潮と一緒に来ていたものは、どこへ行ったのか。
今でもわかりません。
長文失礼しました。読んでくれた方、ありがとうございます。アレが何だったのか、有明海沿岸の風習や言い伝えに詳しい方がいたら、教えてほしいです。
Photo by Daniel Radford on Unsplash
もっと深く知りたい人向け
有明海の干拓や沿岸の民俗について興味が湧いた方には、以下の本をおすすめします。
田中宣一『有明海の干潟漁撈についての民俗学的研究』は、有明海沿岸の漁撈文化と信仰について詳述した研究書で、「潮に乗ってくるもの」に類する伝承への言及もあります。柳田國男『遠野物語』(角川ソフィア文庫)は有明海とは直接関係しませんが、日本各地の土地に根差した怪異譚の原点として読んでおきたい一冊。木原浩勝・中山市朗『新耳袋 第一夜』(角川文庫)は、実話怪談の名作集で、今回のような「数が合わない」系の話がいくつか収録されています。吉田悠軌『忌み地 怖い土地の話』(二見書房)は、干拓地や埋立地など「かつて別のものだった土地」にまつわる怪談を集めたもので、この話と重なる空気感があります。
本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。
📚 この記事で紹介した書籍
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有明海の干潟漁撈についての民俗学的研究
田中宣一
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遠野物語
柳田國男 / 角川ソフィア文庫
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新耳袋 第一夜
木原浩勝・中山市朗 / 角川文庫
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忌み地 怖い土地の話
吉田悠軌 / 二見書房
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