毎晩ひとりずつ増えていく干潟の人影──叔母の家で過ごした夏の話
亡き叔母の海辺の家に泊まった夜ごと、干潟に立つ人影が一体ずつ増えていく。最後の夜、もっとも近い影がこちらを向いていた。
あの夏、叔母の家で見たものについて
去年の夏のことだ。8月の頭に5日間の休みが取れたので、亡くなった叔母の家に泊まりに行った。
正確には「泊まりに行った」じゃなくて、母親から頼まれたんだけど。叔母が亡くなって半年、遺品整理がまだ終わってなかった。「あんた暇でしょ。片付け手伝ってきて」と。海沿いの町で、県名は伏せる。太平洋側とだけ書いておく。
一人で行くのは嫌だったので、大学時代の後輩Tを誘った。Tは釣りが好きで、海の近くと聞いた瞬間に二つ返事だった。
長文になるかもしれない。文才もないので読みにくいかもしれません、許してください。
あと先に言っておくと、俺もTも霊感なんてまるでない。見える人には見えるとか、そういう体質の話じゃなくて、多分そこにいた人間なら誰でも見えたと思う。干潟に立っていた「あれ」は。
Photo by Aldara Gutiérrez Pol on Unsplash
叔母の家と、あの干潟のこと
叔母の名前は仮にNおばさんとする。母の姉にあたる人で、若い頃に嫁いでからずっとその海辺の町に住んでいた。旦那さんは10年以上前に亡くなっていて、一人暮らし。去年の冬に心不全で急に逝った。
家は築50年くらいの平屋で、裏口から防波堤を越えると、そのまま干潟に出られる立地。干潟ってわかるだろうか。潮が引くとぬかるんだ砂泥の平地がずっと沖まで広がって、潮が満ちると全部海になる。あの独特の匂いがある。磯臭いのとはちょっと違う、泥と塩と、何か腐りかけの有機物が混ざったような、甘くてきつい匂い。
俺とTが着いたのは8月2日の昼過ぎだった。真夏の陽射しが凄くて、車から降りた瞬間に汗が噴き出した。家の中はもっと暑い。エアコンは一応あったけど、半年間誰も住んでいなかったから、カビの匂いがこもっていた。窓を全部開けて風を通して、とりあえず寝る場所だけ確保した。
Tが「ちょっと偵察してくる」と裏口から干潟の方に出ていった。俺は台所の片付けをしていて、しばらくしてTが戻ってきた時の顔がちょっとだけ曇ってた。
T「あの干潟、人いるんだけど」 俺「釣り人じゃねえの」 T「いや、竿持ってない。ただ立ってる」 俺「地元の人が潮干狩りとか」 T「バケツも何もない。ただ立ってるだけ。しかも結構沖のほう」
気にはなったけど、その時はそれだけだった。片付けが山ほどあったし、地元の人が散歩でもしてるんだろうと思った。
初日の夕方、最初の違和感
初日の片付けは台所と居間を中心にやった。Nおばさんは物を溜め込むタイプで、新聞紙の束だけで何十キロあったかわからない。Tと二人で汗だくになりながら分別して、夕方5時くらいにようやく一息ついた。
近くのコンビニで買ってきた弁当を食べて、Tが「夕まずめ、ちょっとだけ竿出していい?」と言うので、二人で裏口から防波堤に出た。
干潟は、潮が引いた状態だった。西日がまだ残っていて、濡れた泥がオレンジ色に光っている。その中に、人影がひとつ。
沖のほう、200メートルくらい先だろうか。人の形をしたものが立っていた。
「昼にいたやつじゃね?」とTが言った。確かにそうかもしれない。でも何時間も干潟に立ち続けるか、普通。しかも何も持たずに。ただ、こちらに背を向けて立っている。夕陽を浴びて、影だけが手前に長く伸びていた。
Tは防波堤の上から竿を出し始めた。俺はしばらくその人影を見ていたけど、動かない。微動だにしない。風が出てきて、干潟の泥の匂いが強くなった。生ぬるい風。鳥の声もしなかった。ただ波の音だけが遠くからずっと聞こえていた。
気味が悪くなって、先に家に戻った。Tは30分くらいして帰ってきた。「あの人、まだいたわ。潮が満ち始めてるのに動かねえ」と言っていた。
その夜、二人とも特に何も起きずに寝た。
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二日目の夜、影が増えた
二日目は押し入れと仏壇のある部屋を片付けた。仏壇には叔母の遺影と、叔父の遺影が並んでいた。線香を上げた。仏壇の引き出しからは古い写真がたくさん出てきて、その中に干潟で撮られた写真が何枚かあった。Nおばさんが若い頃、干潟で貝を採っている写真。笑顔だった。
夕方、また防波堤に出た。
干潟に立っていたのは、二体。
昨日と同じくらいの距離に一体。そこからさらに20メートルほど沖に、もう一体。二体とも、こちらに背を向けている。
T「増えてねえ?」 俺「増えてる」
二人ともしばらく黙って見ていた。Tが「地元の人に聞いてみようぜ」と言い出して、俺もそうしようと思った。
翌朝、家の前の道を掃除していたら、隣の家のおじいさんが通りかかった。80歳くらいだろうか。Nおばさんの隣人で、葬儀にも来てくれた人だと母から聞いていた。名前はIさんとする。
俺「あの、干潟に夕方になると人が立ってるんですけど、あれって地元の方ですかね」
Iさんの表情が一瞬固まった。ほんの一瞬。すぐに穏やかな顔に戻ったけど、俺はその一瞬を見逃さなかった。
Iさん「ああ。あそこにはね、降りないほうがいいよ」
それだけ言って、Iさんは行ってしまった。
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三日目、四日目。そして最後の夜
三日目の夕方。三体になっていた。
四日目の夕方。四体。
規則性があった。毎日一体ずつ増えている。いちばん手前の一体は、初日よりも明らかに近くなっていた。200メートルあったのが、150メートルくらいまで。いや、もっと近いかもしれない。
Tの顔色が悪くなってきた。釣り竿はもう出さなくなっていた。「明日帰ろう」と言いかけた時、俺はIさんにもう一度聞きたくなった。
夕飯の後、Iさんの家を訪ねた。Iさんは渋い顔をしたけど、上がれと言ってくれた。お茶を出してくれて、しばらく世間話をした後で、俺はもう一度聞いた。
俺「あの干潟の人影って、何なんですか」
Iさんは湯呑みを置いて、少し考えてからこう言った。
Iさん「Nさんもな、最後のほう、同じこと言ってたよ」 俺「叔母が?」 Iさん「うん。去年の秋くらいから。夕方になると干潟に誰かいるって。最初は一人だったのが、だんだん増えてきたって。この辺りの者は誰もあの潟には降りないんだよ。昔からそう言われてる」 俺「昔から?」 Iさん「わしが子供の頃からだ。干潟にはいるんだと。何がいるのかは知らん。でも降りたらいけないと。降りた者がどうなるかは、わしは聞いとらん。聞かんようにしてきた」
帰り道、潮の匂いがいつもより強かった。生ぬるい風が首筋を撫でて、汗なのか何なのかわからない湿り気が背中を伝った。
最後の夜。五日目の夕方。
俺とTは、帰る前に一度だけ確認しようと、防波堤に出た。
干潟には五体の人影が立っていた。
いちばん遠い影から順に、少しずつこちらに近づくように並んでいる。いちばん手前の影は、もう100メートルもなかったと思う。
そして、その手前の一体だけが、こちらを向いていた。
他の四体は全部背中を見せている。沖を向いて立っている。でも一体だけ、いちばん近い一体だけが、確実にこちら側を向いていた。顔の造作はわからない。夕陽を背にしているから、ただの黒い輪郭。でも向いている。こちらを。
五体。俺がこの家に泊まったのは、五日間。
Tが俺の腕を掴んだ。爪が食い込むくらい強く。
T「帰ろう」
荷物をまとめて車に乗り込んだ。エンジンをかけて、バックミラーに防波堤が映った瞬間、俺は前だけを見た。Tも前だけを見ていた。
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Photo by Andrés Gómez on Unsplash
あの干潟に、何がいたのか
家に帰ってから、母親に電話した。Nおばさんが去年の秋に干潟のことを話していたか聞いた。
母は少し黙ってから、「お姉ちゃん、最後の方ちょっとおかしかったのよ」と言った。干潟に人が立っているのが見える、毎日増えていく、と言っていたらしい。家族はそれを、一人暮らしの寂しさからくる幻覚か何かだと思っていた。病院を勧めたけど、Nおばさんは頑なに断ったという。
「でもあんた、そんなこと急にどうしたの」と母に聞かれて、「別に」と答えた。二人で見たとは言えなかった。言ったら母が怖がると思った。
Tとは、あの話をほとんどしない。一度だけ、帰ってから一週間くらい経った時にLINEが来た。
T「あれさ、俺らが泊まった日数と同じだったよな」
俺「うん」
T「もう一泊してたら、六体目が出てたのかな」
俺「たぶん」
T「六体目は、もっと近かったのかな」
それに俺は返信しなかった。
Iさんが言っていた。「降りた者がどうなるかは聞いとらん」と。降りなければいいのか。見るだけなら大丈夫なのか。でもNおばさんは、降りていないのに亡くなった。あの冬に。干潟の人影を見続けた後に。
俺はあれから、海に近づいていない。
あの干潟に何がいたのか。あの影は誰だったのか。泊まった日数だけ増えるのは何故なのか。いちばん近い影がこちらを向いていたのは、何を意味するのか。
分からない。分からないまま、たぶんこの先もずっと分からないまま生きていくんだと思う。
ただ、ひとつだけ。
Nおばさんの遺品を整理していた時、仏壇の奥から小さなメモ帳が出てきた。日記のようなものだった。ほとんどは買い物リストとか病院の予約日とか、生活の記録。でも最後の数ページだけ、こう書いてあった。
「きょうは七人」 「きょうは八人」 「きょうは九人。いちばん手前のひとが、笑った」
読んでくれた人、ありがとう。長くなってすみません。あれが何だったのか、似たような話を知っている人がいたら、教えてほしいです。
もっと深く知りたい人向けの本
この話を読んで海辺の怪異に興味を持った人に、いくつか本を挙げておく。
『海の怪』(高田公理/角川ソフィア文庫)は、日本各地の海にまつわる怪異譚を民俗学の視点から集めた一冊。干潟や浜辺に現れる「何か」についての伝承がいくつも載っている。
『遠野物語』(柳田國男/岩波文庫)は言わずと知れた古典だけど、海と山の境界に現れるものの話は今読んでも背筋が冷たくなる。
『忌み地 怪談社奇聞録』(糸柳寿昭・営業のK/竹書房文庫)は、特定の土地に紐づいた怪談を集めたシリーズで、「その場所にいると起きる」タイプの話が多い。今回の干潟の話に近い空気がある。
『怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集』(MF文庫ダ・ヴィンチ)は、実話怪談の書き手たちによる競作集。投稿型怪談が好きな人なら、プロがどう「実話」を語るかの参考になると思う。
本記事は世界各地の伝承・都市伝説・公開報道を編集したものです。個別の事象が超常現象であると主張するものではなく、文化史的な記録としてお読みください。心霊スポットへの無断侵入は法的トラブルの原因になります。立入禁止表示には必ず従ってください。
📚 この記事で紹介した書籍
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海の怪
高田公理 / 角川ソフィア文庫
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遠野物語
柳田國男 / 岩波文庫
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忌み地 怪談社奇聞録
糸柳寿昭・営業のK / 竹書房文庫
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怪談実話系 書き下ろし怪談文芸競作集
MF文庫ダ・ヴィンチ
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